すたのピンコロ日記

旅をして、美味しいものを食べて、毎日を楽しく!

東北の旅   山形県

銀山温泉
古く16世紀に銀鉱が発見され、
江戸時代には公儀山として栄えた銀山。
現在は木造三層四層の旅館が軒を並べる温泉街。
風格のある落ち着いた町並みには見どころも多くい。

銀山温泉1

銀山温泉14

銀山温泉2

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銀山温泉6

銀山温泉7

銀山温泉8

銀山温泉15

銀山温泉9

銀山温泉10

銀山温泉11

銀山温泉12

銀山温泉13


温泉街の一番奥にある滝
滝1

滝2

滝3
所在地・・山形県尾花沢市大字銀山新畑

今回で東北の旅は終わりです。
冬に向かって青森から山形に下ってきました。

数年かかって巡った街道巡りが終了して
これからは単発であちこち歩きたいです。

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  1. 2017/01/23(月) 09:02:37|
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東北の旅   山形県

最上川
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橋をくぐって廻りこんで
最上川4
最上川5
船着き場に
最上川7


最上徳内記念館
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徳内4
徳内5
徳内6
徳内7


最上徳内(宝暦4年(1754) - 天保7年(1836))は、
江戸時代中後期の探検家であり江戸幕府普請役。
出羽国村山郡楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)出身。

実家は貧しい普通の農家だったが、
学問を志して長男であるにもかかわらず
家を弟たちに任せて奉公の身の上となり、
奉公先で学問を積んだ後に師の代理として
下人扱いで幕府の蝦夷地(北海道)調査に随行、
後に商家の婿となり、さらに幕府政争と蝦夷地情勢の不安定から、
一旦は罪人として受牢しながら後に同地の専門家として
幕府に取り立てられて武士になるという、
身分制度に厳しい江戸時代には珍しい立身出世を果たした
(身分の上下動を経験した)人物。
徳内2

徳内8

徳内9

徳内10

斎藤茂吉歌碑
最上川流るるくににすぐれ人
あまた居れどもこの君我は

最上川の流れる山形には、沢山の偉人がいるけれど
その中で最上徳内こそが最たるものだと詠んでいる。
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所在地・・山形県村山市中央 1-2-12

  1. 2017/01/20(金) 09:44:35|
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東北の旅   山形県

旧東村山郡役所資料館
明治12年(1879)に東村山郡役所として完成した
木造3建ての洋風建築で屋根は瓦葺、塔屋を有する。
当時の郡役所の外壁は板張りを用いるところが多く、
漆喰塗りの郡役所は珍しい。
また、明治時代初期の擬洋風木造建築としては山形県内で最も古い。
行政制度が変わり郡役所としての役目が終わった後も、
郡農会、天童町役場、天童市役所、市立図書館と
時代に応じて建物は使用され続けた。
明治32年(1899)以前の段階で3階塔屋が除かれ
2階建てに改装されているが、昭和60年(1985)復元修理により
建設当初の姿に戻された。
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旧東村山郡役所4

旧東村山郡役所5

旧東村山郡役所6
旧東村山郡役所10 旧東村山郡役所7
旧東村山郡役所11

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旧東村山郡役所12

旧東村山郡役所13

織田信長の肖像画
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旧東村山郡役所18
所在地・・山形県天童市五日町 2-4-8


  1. 2017/01/17(火) 10:00:39|
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東北の旅   山形県

旧済生館本館

山形県令三島通庸の「山形の近代化を図る」という構想のもと
明治11年(1878)宮大工たちによって
文明開化の象徴として山形県立病院として建設され
昭和の職人たちの努力と技術で移築復原された。

済生館の名前は当時の太政大臣・三条実美が命名。
東北地方で最も早く西洋医学を取り入れ、
診療の他に医学校が併設され、
オーストリア人医師ローレツを金沢医学校から招聘した。
経営の問題から明治21年(1888)に民営になり、
その後明治37年(1904)山形市立病院済生館になった。

3層楼なのに実は4層、ドーナツ型の1階部、2階は直径10㍍位の
柱のないホール、中3、4階へは螺旋階段、そしてステンドグラス。
内部構造は大変ユニークで2階は16角形のホールで
中央に柱は1本も立っていないのにもかかわらず、
ホール上部に中3階・4階がのっている。
これは当時日本に入ってきたばかりのトラス構造を利用して支えられている。
さらに16角形から8角形へ楼の形を変える際に使われているのは
多宝塔上層部をくみ上げる工法で、
日本古来の建築にも熟達した宮大工ならではの技法。
済生館1

済生館2

済生館4

済生館5
済生館6
済生館7
済生館8
済生館9

旧済生館1
済生館11

済生館14
済生館13
所在地・・山形市霞城町 1-1


  1. 2017/01/14(土) 10:10:03|
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東北の旅   山形県

山形城跡
最上氏の祖斯波兼頼が、延文2年(1357)に築城した。
兼頼の子孫は、その後最上氏を称して、代々居城した。
最上氏11代当主義光の代に、関ヶ原合戦の戦功により、
57万石の大々名となり、100万石の城下町として山形は繁栄した。
しかし、義光の孫・家信(義俊)の代に、家中不取締りの罪により、
最上氏は改易され、その跡に鳥居忠政(24万石)が入部したが、
忠政は山形城の本丸・二ノ丸を改築したので、
現在の二ノ丸跡は、鳥居氏時代の遺構。
鳥居氏の以後、城主は11氏(幕領2回)が頻繁に交替し、
最後の城主水野氏は、僅か5万石で明治維新を迎えた。

お城とお堀、並んで線路   あまり見かけない光景ですよね   
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東大手門
山形城跡1
山形城跡2

山形城跡5

最上義光銅像
山形城跡6
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山形城跡10

山形城跡11

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山形城跡14

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山形城跡17
山形城跡18
山形城跡20
山形城跡21
山形城跡22
所在地・・山形市霞城町 1-1


  1. 2017/01/11(水) 09:51:22|
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