すたのピンコロ日記

旅をして、美味しいものを食べて、毎日を楽しく!

奥の細道⑭

龍光寺
江戸期には、喜連川藩主足利家の菩提寺であった。
境内の奥に喜連川藩主歴代の廟所が残されている。
龍光寺という寺名は、慶長6年(1601)に没した
足利頼純の戒名を取って名づけたという
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     御用堀
喜連川第10代藩主・熙氏が防火、灌漑、
飲料水に役立てるために造った。
現在は江戸の面影を残すような風情と多数の鯉が泳いでいる
龍光寺4御用堀
所在地・・栃木県さくら市喜連川 4317

喜連川神社
永禄6年(1563)塩谷15代藩主・兵部大輔惟朝が、
尾張国津島牛頭天王宮の分霊を勧請して創建した。
塩谷氏、喜連川氏代々の崇敬の社
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光真寺
大田原氏の菩提寺であり、本堂の西側には
大田原家歴代藩主の墓がある。
境内には霊感あらたかな甲子大黒天、子育て地蔵が祀られている。
夏祭りは「お天王さん」あばれ神輿が有名
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大 門
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  1. 2010/09/30(木) 08:44:15|
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奥の細道⑬   白澤・宇都宮

白沢宿本陣跡
白沢村庄屋であった宇加地家が本陣を営んで来た。
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脇本陣だった上岡本村の庄屋福田家跡
脇本陣・福田家


勝山城跡
鎌倉末期に氏家氏が築城し、
その後宇都宮氏の一族芳賀氏によって
強固な城構えが完成した。
中世下野における宇都宮氏一族の北方防衛の
拠点でもあり、戦国時代には那須氏との激戦地となったが、
堅牢な城で落城する事はなかった。
しかし慶長2年(1597)宇都宮城と共に廃城となった。
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石造地蔵菩薩坐像
蔦地蔵とか定家地蔵と呼ばれている。
右手に錫杖、左手に摩尼宝珠を持つ延命地蔵の形をしている。
鎌倉時代に宇都宮は、京都・鎌倉に次ぐ、
一大地方歌壇で、歌聖藤原定家と親交があつく
定家の七回忌に定家の面影を写した石仏を建立したと伝えられ、
以来この地蔵を定家地蔵と呼ぶようになった。
定家地蔵


西導寺
建久2年(1191)に氏家氏の始祖で勝山城を築いた
宇都宮公頼が開山した。氏家の菩提寺。
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光明寺
青銅不動明王坐像で知られた寺で、
北関東三十六不動尊霊場の第22番札所
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弥五郎坂
江戸を出て、初めての本格的な坂である。
坂の頂上付近には、戦国期の天文18年(1549)宇都宮氏と
那須氏との間で激戦・早乙女坂の戦いが展開された所がある。
もとは早乙女坂と呼ばれていたが、この戦いで、宇都宮氏の
総大将であった宇都宮尚綱を討った那須氏側の鮎瀬弥五郎の
名から弥五郎坂と呼ばれるようになった。
弥五郎坂

古戦場
今は一面の稲が・・・
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  1. 2010/09/28(火) 08:43:27|
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奥の細道⑫   日光

奥の細道⑪   日光

大猷院
三代将軍・家光の御霊廟。「大猷院」は家光の法号
慶安4年(1651)48歳でこの世を去った家光の遺言を受け、
四代・家綱の命により、承応2年(1653)に完成した。
先祖である家康の廟所をしのいではならないという
家光の遺命によって、彩色や彫刻は控えめに造られたが、
かえってそれが重厚で落ち着いた雰囲気を醸し出している。
東照宮の建築が白と金を基調にして、
黒の縁取りをしているのに対して、
大猷院は金と黒が基本で、縁取りは赤。
また東照宮は神仏習合だが、大猷院は純粋な仏式である。
家光の意思に反して、東照宮よりも優れた技術が
用いられている部分もある。

仁王門
大猷院、最初の門で、左右に金剛力士像が祀られている。
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水盤舎
水盤舎

二天門(雷門)
正面左右に持国天、広目天の二天を安置している事から
二天門と呼ばれている。 背面には風神・雷神が配置され、
上部分と下部分の彩色が著しく異なっていて美しい。
二天門 (雷門)

鐘  楼
鐘楼

鼓  楼
鼓楼

夜叉門
切り妻造りで、正背面に軒唐破風を付けた低平な
落ち着いた造りながら、鮮やかな彩色が目を引く
華やかな門。正面、背面の左右柵内に、毘陀羅(びだら)
阿跋摩羅(あばつまら)ケン陀羅(けんだら)
烏摩勒伽(うまろきゃ)の四夜叉を納め、霊廟の鎮護に当っている。
欄間、扉の羽目板部分、壁面などに流麗な牡丹唐草彫刻が
施されている事から牡丹門とも呼ばれている。
夜叉門 (牡丹門) 

唐  門
唐破風を持つ、一間一戸の小規模な門
隅々まで繊細な彫刻と金、白を基調とした彩色が施されている。
柱や貫・梁には七宝・麻の葉などの細かい地模様が彫られ扉には
上に鳳凰、下に唐草、前後の破風の下には雄雌の双鶴と
白竜などの彫刻がある両側の袖塀の羽目には多くの鳩が彫られ
、 百間百態の群鳩とされている。
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拝殿と御本殿
拝殿・相の間(あいのま)・本殿から構成されている。
拝殿は東照宮の権現作りをそのまま生かし規模は小さいが
細部の技法に力を尽くした造りとなっている。
拝殿に続く本殿の最奥部、厨子(御宮殿/ごくうでん)の中には、
家光公座像と御位牌があり、この建物を「廟(びょう)」といい、
参り墓を意味し、一般の人の正式な参拝所となる。
金・黒、赤の彩色をくまなく施された外観は、
別名「金閣殿」の呼び名があるほど
豪華で江戸芸術の極みを示している。
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<<拝殿
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皇嘉門
本殿の後、大猷院の最も奥にある家光公の御廟へは、
この「皇嘉門」から入る
中国、明朝の建築様式を取り入れたその形から、
一名「竜宮門」とも呼ばれる美しい建物。
門を潜るときに見上げると、天上には「天女の画像」が
描かれている
皇嘉門
  1. 2010/09/24(金) 08:41:37|
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奥の細道⑩   日光

日光東照宮
元和3年(1617)徳川初代将軍・家康を御祭神に祀った神社
家康は、元和2年4月17日、駿府城で75歳の生涯を終え
直ちに久能山に神葬された。そして遺言により、一年後の
元和3年4月15日、現在の地に祀られた。
現在のおもな社殿群は、三代家光によって、
寛永13年に造替されたものである。
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輪  蔵
輪蔵

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陽明門
日光東照宮の象徴的な建築である陽明門は
寛永12年(1635)に建てられた。
三間一戸、八脚楼門、入母屋、四方軒唐破風、銅瓦葺きの楼門建築。
陽明門の名の由来は京都御所にある十二門の東の正門が陽明門と
呼ばれているところから授かったとされ、正面唐破風下には
元和3年(1617)に後陽成天皇から賜った
「東照宮大権現」の額が掲げられている。
陽明門には当時の技術の最高峰がつぎ込まれ彫刻の数は
508体にのぼり、軒下には金と極彩色に彩られた麒麟、
その下には白色の竜、さらに下が
子供達の透かし彫りが施されている。
1層目には獅子や子供達が彫り込まれ、
1日中見てても飽きない事から「日暮門」の別称がある。
柱は全部で12本あり、胡粉が塗られグリ紋と称する
渦巻状の地紋と鳥獣、草花が彫られている。
裏側の左手2番目の柱は"魔除けの逆柱"と呼ばれグリ紋の
向きが逆で「完成した瞬間から崩壊が始まる」という
古事からわざと未完成の部分を残している。 
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鐘  楼
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鼓  楼
 鼓楼

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神楽殿
神楽殿

唐  門
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門

眠り猫
左甚五郎の作。牡丹の花咲く下に日の光を浴びて子猫が
転た寝しているところで日光を現わす絶妙の奥義を極めている。
眠り猫

狛犬

奥宮1

奥宮拝殿

この坂下門から200段の階段を登ると家康公の墓所がある。
坂下門
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墓所

宝塔

奥宮御宝塔
  1. 2010/09/22(水) 08:40:55|
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奥の細道⑨   日光

日光二荒山神社
日光の三つの山(男体山・女峯山・太郎山)の神を
総称して二荒山大神と称し、主祭神としている。
二荒山大神に現在の神が当てられたのは、12世紀頃
だと言われており、本地垂迹説によりそれぞれの神に
仏が当てられ、現在でも輪王寺ではこれらの仏を祀っている。
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日光三山

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輪王寺
本堂(三仏堂)は、日光山随一、東日本では最も大きな
木造の建物で、平安時代に創建された全国でも数少ない
天台密教形式のお堂。現在の建物は、
正保2年(1645)徳川三代将軍・家光によって建て替えられた
内陣には、日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・
馬頭観音)という三体の大仏さまと、東照三社権現本地仏
(薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来)という掛仏の、
2組の三尊仏が本尊として祀られている。
輪王寺 山門

金剛桜
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護法天堂
護法天堂

三仏堂
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大護摩堂
大護摩堂
  1. 2010/09/20(月) 08:39:56|
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奥の細道⑧   鉢宿~日光

鉢 石
勝道上人が日光山を開いた時、
ここに托鉢用の鉢を置いて休憩した
その石が鉢を伏せたような形だったので鉢石と呼ばれ地名になった
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面白い電話BOX 見っけ!
電話

板垣退助の像
板垣退助像

太郎杉
太郎杉

神 橋
<山口県の錦帯橋、山梨県の猿橋と日本三大奇橋の一つ
国の重要文化財に指定され、世界遺産のも登録されている
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裏見の滝
武尊川から50mの高さを落ちる大瀑布。
日本武尊が東征の折、
同伴の姫が産気づいたが母子ともに死んだため
この滝で不浄を清めその冥福を祈ったという
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      ほとゝぎすへだつか瀧の心哉  芭蕉翁

含満ヶ淵の地蔵群
大谷川に沿った淵に100体ほどの地蔵群が一列に並んでいて
何度数えても数が合わない事から「化け地蔵」と言われている。
慈眼大師天海の門弟たちが彫ったものといわれている。
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  1. 2010/09/18(土) 08:39:19|
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奥の細道⑦   徳次郎宿~今市宿

追分地蔵尊
日光街道と例幣使街道との合流点に、
高さ2m程の大きな地蔵尊がある。
製作年代は不明だが八代将軍吉宗の日光社参の時、
現在地にあった。
日光街道         追分地蔵尊     例幣使街道 日光街道杉並木2地蔵堂例幣使街道杉並木
珍しいお地蔵さま
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報徳二宮神社
境内の裏に二宮尊徳(金次郎)の墓がある。
尊徳は、この地で70歳の生涯を閉じた。
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懐かしい~~
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二宮尊徳3

との遺言にも係わらず・・建ててしまった・・・
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如来寺
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龍蔵寺
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正一位稲荷大神の中にある西行法師の戻石
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  1. 2010/09/16(木) 08:38:34|
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奥の細道⑥   日光街道・小金井~宇都宮

下野薬師寺跡
今から約1300年前(7世紀末)に建てられたという。
奈良の東大寺・福岡の観世音寺とともに
日本三戒壇の一つと呼ばれた。
東国で仏門に入る者は、ここで戒律を受けたという。
又、神護景雲4年(770)8月、称徳天皇の崩御のよって
後ろ盾を失った道鏡が宇佐八幡宮神託事件により左遷されたのも
この下野薬師寺である。
現在は回廊の一部を復元して史跡公園となっている。

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副画像は大神神社の藤です。
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安国寺
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六角堂
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龍興寺
下野薬師寺別院といわれている。
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シラカシの巨木
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宇都宮城跡公園
「釣天井」の伝説で有名な城で、
11家、47代の城主が住んだ城である。
戊辰戦争の兵火で焼かれ、
今は一部が復元され城跡公園となっている。
この城の特徴は石垣が少なく、土塁で囲まれている。
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  1. 2010/09/14(火) 08:37:54|
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奥の細道⑤   日光街道・小金井

大神神社(おおみわじんじゃ)
天正12年(1584)に皆川広照と北条氏直との戦いで
焼失したが、日光社参で立ち寄った家光が、
諸大名に多数の金品を寄進させ、 自らも社領三十石をを献じ、
杉の苗木一万本を寄進して社殿を復興させた。
大神神社3
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芭蕉の句碑
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糸遊に結つきたる煙哉  芭蕉翁

室の八島
大神神社の境内に、池の中に石橋や朱塗りの橋が
架かった島が8つあり、それぞれに神社が鎮座する。 <
室の八嶋
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  1. 2010/09/12(日) 08:37:12|
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奥の細道④   日光街道・小山~小金井

小山評定所跡
慶長5年(1600)7月、徳川家康が上杉景勝討伐軍を率いて
ここまで来た時、 大阪で石田三成挙兵を知り、
7月25日に本多忠勝、福島正則、山内一豊ら諸将を集めて
評定会議を開いた。家康はここでの諸将の進言をもとに
関ヶ原合戦に臨んだのである。
今は市役所になっている。
小山1

小山城跡公園
正確な築城年代は不明であるが、
平安時代に藤原秀郷が築城したと伝えられている。
戦国時代には小山氏の居城であったが、
天正3年(1575)北条氏照に滅ぼされ落城した。
江戸時代初めの慶長12年 (1607)本多正純が城主となったが、
12年後に宇都宮に転封され、廃城となった。
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小山2
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壬生道との追分
かつての壬生道で、日光への近道でもあった。
芭蕉はここから壬生道に入り日光へ向かったようである。
馬頭観音、出征馬碑、供養塔などの石碑が並んでいる。
壬生道  追分

一里塚
江戸より22番目の一里塚で、
榎とクヌギの巨木が一つの塚に同居している。
日光街道で唯一、国指定史跡となっている。
榎とクヌギの一里塚
榎                クヌギ
榎 クヌギ
  1. 2010/09/10(金) 08:36:29|
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奥の細道③   日光街道・野木~間々田   

法音寺
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友沼八幡神社
徳川将軍の日光参詣の行程は、岩槻、古河、宇都宮に
各一泊する3泊4日が恒例となっていて、
それにともない昼食、休憩の宿や神社なども決まっていた。
八幡神社は古河城を出た一行が最初に休憩する場所で、
筑波山が正面に見える景勝地であったようだ。
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友沼八幡神社5


乙女不動原瓦窯跡
この近くにあった下野国分寺や下野薬師寺の
屋根瓦を焼いた窯跡であり四基の窯跡とともに、
工房跡や粘土採掘坑跡、瓦集積跡などが復元されている。
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千駄塚古墳
直径70㍍、高さ10㍍の大型円墳で、
東日本最大級のものである。
頂上には富士山信仰の浅間神社が鎮座している。
石棺も残されている。 <
浅間神社
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  1. 2010/09/08(水) 08:35:45|
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奥の細道②   日光街道・古河   

鴻巣の一本榎(一里塚)
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古河公方館跡にある民家園
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鷹見泉石記念館
古河城の家老であった鷹見泉石の屋敷跡、
泉石は主君の土井利位が大阪城代の時
大塩平八郎の乱捕縛の指揮を執った。
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こんなに大きなドウダンツツジ
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  所在地・・栃木県古河市鴻巣 399-1


長谷寺
日本三大長谷観音の一つ(奈良・鎌倉・古河)
明応2年(1493)古河城の鬼門除けとして建立された。
三つの観音は一本の楠によって彫られた。
(奈良は元木、鎌倉は中木、古河は末木)
長谷寺
所在地・・古河市長谷町 5-1


正定寺
江戸時代初期の大老土井利勝の開いた寺で
土井家代々の墓がある。
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また土井家江戸下屋敷の表門が移築されている。
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正定寺6
所在地・・古河市大手町 7-1
  1. 2010/09/06(月) 08:34:46|
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奥の細道①   千住~幸手


今年は、奥の細道を辿ってみたいと思い、
(勿論、バスと電車を利用して)
まずは、江東区芭蕉記念館に行って来ました。
クリック・5枚です。
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千住大橋の畔にある「矢立初めの地」
旅立ち1

芭蕉記念館6

芭蕉記念館7

芭蕉記念館8

芭蕉記念館9

聖福寺 (幸手宿)
徳川三代将軍家光が日光社参の時の御殿所として使用され
ほかにも歴代将軍が18回も休憩していた。
将軍の間、勅使の間、菊の御紋の入った勅使門(唐門)があり、
左甚五郎作といわれる彫刻などが保存されている。
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<<山 門
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   所在地・・幸手市北 1-9-27


正福寺
天明3年(1783)浅間山が大噴火して関東一円に灰がつもり
また冷害と重なって大飢饉となった時、
幸手の有志21名が米や金品などを出しあって
難民を救済したという「義賑窮餓之碑」がある
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権現堂堤
天正4年(1576)頃、利根川の支流である権現川の堤防として
築かれたものといわれ・大正時代から桜の名所として賑わっていた。
明治9年(1876)に明治天皇が東北巡幸の際に立ち寄った事から
行幸(みゆき)堤とも呼ばれている。
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Sakuraさんのソースをお借りしました

権現堂堤にある順礼の碑 
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  1. 2010/09/04(土) 11:38:51|
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