すたのピンコロ日記

旅をして、美味しいものを食べて、毎日を楽しく!

伊勢参宮本街道 奈良市

薬師寺
薬師寺は法相宗の大本山。
天武天皇の発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の代に至り、
飛鳥の地において堂宇の完成を見た。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移された。
平成10年、ユネスコ世界遺産に登録された。
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参 道
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non_nonさんのブログの小技からお借りしました。

西塔と東塔
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南門の前にある「孫太郎稲荷大明神」
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境内社「休丘八幡宮」 休丘八幡宮
薬師寺・・奈良県奈良市西ノ京町457
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  1. 2011/03/31(木) 08:26:01|
  2.   旅  
  3. | コメント:16

伊勢参宮本街道   奈良市

興福寺
南都六宗の一つ、法相宗の大本山。
天智天皇8年(669)に、藤原鎌足が造立した釈迦三尊像を安置するために、
夫人の鏡女王が、京都山科の私邸に建てた「山科寺」が始まり。
その後、飛鳥廐坂の地に移り「廐坂寺」とした。
都が平城京へ移される時に平城京左京三条七坊のこの地に移り「興福寺」と名付けた。
この創建の年を和銅3年(710)とする。
その後天皇や皇后、また藤原氏の人々の手によって次々に堂塔が建てられ整備された。
奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられた。
摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになった。
平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになった。
鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任にあたった。
幕府による宗教政策が厳しかった江戸時代には21000石余の朱印が与えられた。
明治時代始めの神仏分離令・廃仏毀釈・社寺上地命などで興福寺は荒れたが、
その後の努力で復興し、新しい興福寺の歴史を刻んでいる。
南円堂は西国三十三箇所第9番札所である。世界遺産に登録されている。

東金堂  (国宝)
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五重塔  (国宝)
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南円堂  (重要文化財)
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北円堂  (国宝)
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三重塔  (国宝)
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びっくり∑q|゚Д゚|pワオォ!!
カラスが鹿のお知りの毛をむしってるの
鹿は怒るどころか、気持ちよさそうな顔をして(* ̄。 ̄*)ウットリ 

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猿沢池
采女伝説で有名な猿沢池は「澄まず濁らず、出ず入らず、
蛙涌かず藻が生えず、魚七分に水三分」の七不思議がある。
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興福寺・・奈良県奈良市登大路町48番地
  1. 2011/03/27(日) 18:09:04|
  2.   旅  
  3. | コメント:12

伊勢参宮本街道   大和郡山市

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郡山城跡
マウスオンして下さい。


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追手門(オオテモン)
関が原の役の後、暫くの間存在しなかったが、
松平忠明が伏見城の遺構を家康より与えられて再建した。
柳沢氏在城期には梅林門と称した。昭和58(1983)年に再建 
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追手向櫓(オオテムカイヤグラ)
追手門(梅林門)を守るための櫓で、本多氏時代(1639~1723)は
大手先艮角櫓(オオテサキウシトラスミヤグラ)と呼ばれていた。
追手向櫓と呼ばれるようになったのは、柳沢氏入城後(1724)の事。
櫓は明治6年に取りはらわれたが、下重(1階)は4間2尺に5間、
上重(2階)は2間四方の二重櫓であったと伝えられている。
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旧奈良県立図書館
明治41年(1908)、日露戦争の勝利を記念して奈良公園に建設された
奈良県最初の県立図書館で、昭和43年、現県立図書館の新築に伴い、
本館のみが大和郡山城跡に移築保存され、市民会館として活用されている。
旧県立図書館は外観を和風に、内部を洋風にまとめられ、
当時の近代和風建築の一つの流れを示すものとして貴重である。
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郡山城跡・・奈良県大和郡山市城内町   




  1. 2011/03/24(木) 09:52:05|
  2.   旅  
  3. | コメント:12

伊勢参宮本街道  奈良市大和田町

東日本大震災で被災された皆さま
救助活動をされていらっしゃる消防士さん、自衛隊の皆さん
命がけで、原発の爆発防止、復旧に携わっていらっしゃる方々に
感謝し、沢山の感動を頂いています。
1万人・2万人という犠牲になられた人、安否不明の人
そして避難を余儀なくされた何十万の人たちの
苦しみを思う時、のんびりと旅日記を投稿するのは
不謹慎では?などと自問自答していましたが
みんなが下を向いていたのでは、日本はだめになってしまう
私達はまず、自らが前向きに、元気に生きていく事
そして今、自分に何が出来るのかを考え
支援・応援する事が大切なのではないか?と
伊勢参宮本街道の旅の投稿を続けることにしました。
仮設住宅も少しづつ建てられ、物資も届きつつあると聞いて
ホッとしていますが、地震はおさまっていませんし
予断は許しません。一日も早い復興を願って止みません。


追分本陣跡・村井家
奈良市内では珍しい宿場建築として貴重な建物で 
奈良から生駒暗峠を越えて大阪への街道沿いにあり、
大和郡山との分岐点であるために追分の本陣と呼ばれる。
19世紀はじめから中期に建てられた主屋の屋根は、
茅葺きと桟瓦葺きを組み合わせた大和棟形式である。
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追分梅林
マウスオン2枚です 
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追分本陣跡・村井家・・奈良県奈良市大和田町1912
 

  1. 2011/03/22(火) 15:07:10|
  2.   旅  
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:18

伊勢参宮本街道  出発の地  

3去る11日、突然に起こった「東北地方太平洋沖地震」で
多くの方々が犠牲になり、不自由な避難生活をされていて
毎日増えていく被害者・被災者の数に、胸が締め付けれれる思いです。
夫の実家が、福島県いわき市の新舞子という海岸から
1.5㌔位の所にありますが、津波の影響は受けなかったのですが
原発・爆発による放射能汚染が心配です。
そんな訳でブログの更新を控えていたのですが
うなだれていてもどうにもならないので
元気良くブログ生活に戻ろうと思います。


江戸時代に全国的に流行したお伊勢参り。
「一生に一度は伊勢参り」とか「伊勢に七度、熊野に三度、お多賀様には月参り」
と、いわれたように江戸時代の人々はこぞって伊勢参りの旅へ出たようだ。
今回は玉造稲荷神社から伊勢神宮までの170㌔のバスツアーに参加した。

玉造稲荷神社
西の玄関口、伊勢まいりの出発地。
垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建。
戦国時代の戦火により荒廃し、慶長8年(1603)、豊臣秀頼により社殿が再建された。
徳川時代には、大阪城の守護神とされた。
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今と文久2年12月に建立の起点碑
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慶長8年(1603)豊臣秀頼が奉納した鳥居
慶長20年(1615)大阪夏の陣、昭和20年(1945)第二次世界大戦の
二つの戦禍を乗り越えて来たが、平成7年(1995)1月17日の
阪神・淡路大震災の時に下半分が壊れ、上部が保存されている。
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玉造稲荷神社・・大阪市中央区玉造2-3-8
 
 
  1. 2011/03/15(火) 16:50:41|
  2.   旅  
  3. | コメント:15

大江戸街歩き   太平・横川

法恩寺
開山は本住院日住上人、開基は大田道灌。
長禄元年(1457)江戸城築城にあたり丑寅の方に城内鎮護の
祈願所として本寺を建立、次いで資康、資高が城主となり
資高の代に法恩寺と改称した。山号を平河山とするのは
当時この付近を平河村といっていたから。
当山には、豊臣秀吉や徳川家康も小憩した事がある。
家康が江戸城入城の際、神田柳原、谷中清水町にと
移され、元禄8年(1695)に現在地に移った。
当時は塔中20ヶ寺、末寺11ヶ寺、関東の触東として威勢を誇った。
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大田道灌碑
道灌は、室町時代の武将で、永享4年(1432)関東管領扇ヶ谷上杉氏の
執事・資清の子として相模で生れた。
歌人として万里集九との交遊も知られている。
幼名を鶴千代麿、源六郎といい、成人して持資(モチスケ)資長(スケナガ)と改め
備中守正五位下までのぼり、剃髪して道灌と名乗った。
道灌は扇ヶ谷上杉定正に仕え、文武両道を修め
康正2年(1456)江戸城を築き、居城とした。
道灌は築城にかけても名手で、河越、岩槻の二城も築いた。
又、足軽の用い方にも優れていたといわれる。
文明18年(1486)主君・定正は、道灌の名声をねたんだ
他の家臣に唆されて、相模糟屋の自宅に誘い出して謀殺した。
道灌、享年55歳だった。
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大田道灌墓所
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経石塔(三重塔)天平風鉄筋鐘楼 
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塔中の千栄院にある「たんぼとけ}
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法恩寺・・東京都墨田区太平1-26-16


本法寺
文禄4年(1595)日慶が神田に創建し、後に谷中に移り
元禄2年(1689)に現・本所に移転した。
室町時代の画家・狩野元信、俳優・長谷川一夫夫妻、三遊亭円歌
将棋名人・伊東宗印宗看などの墓がある。
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本法寺・・東京都墨田区横川1-12-12

明日から、奈良・東大寺のお水取りに行って来ます。
コメントのお返事は帰ってからいたします。
  1. 2011/03/08(火) 21:14:27|
  2. 東  京
  3. | コメント:14

大江戸街歩き   亀戸

常光寺
江戸六阿弥陀巡礼のうち、第六番目の霊場として栄えた。
六阿弥陀への彼岸もうでは、庶民の信仰と行楽として
盛んに行われていた。亀戸七福神(寿老人)
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六阿弥陀道道標
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常光寺・・江東区亀戸4-48-3


東覚寺
享禄4年(1531)玄覚法印の創建。
不動明王は、東大寺別当良弁(689-773)の作で、
大山寺(神奈川県)本尊と同木同作といわれ、
江戸時代より亀戸不動として賑わった。
亀戸七福神の「弁財天」があります。
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弁財天堂
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東覚寺・・江東区亀戸4-24-1

梅屋敷跡
江戸時代から続く梅の名所だった。
本所埋堀(墨田区)の商人、伊勢屋彦右衛門の別荘で清香庵といった。
庭内に梅が多く植えられていたところから「梅屋敷」と呼ばれるようになった。
なかでも「臥龍梅」と名付けられた一株が有名で
まるで龍が大地に横たわっているように見えるところから、
水戸光圀が命名したと伝えられている。
八代将軍徳川吉宗も鷹狩の帰りにこの地を訪れたことがある。
江戸近郊の行楽地として、花の季節にはたくさんの人々でにぎわい、
その様子は『江戸名所図会』『絵本江戸土産』(歌川広重)などの
地誌にも、とりあげられている。
歌川広重はこの梅屋敷だけで十数種の版画を描き、
とくに「名所江戸百景」の中の太い梅の古木を手前にあしらった錦絵は
傑作のひとつにあげられる。明治43年(1910)大雨による洪水で
梅屋敷のすべての梅樹が枯れ廃園となった。
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「臥龍梅」
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梅屋敷跡・・亀戸3-57-22







  1. 2011/03/06(日) 09:17:04|
  2. 東  京
  3. | コメント:18

奥の細道57   宮城・登米

登 米(トメ)
宮城県の北部、岩手県との県境にある。
市内の登米町は(トヨママチ)と読む。
平泉を目指した芭蕉一行が道に迷ってこの地で一夜を明かしたという
ここは「みやぎの明治村」と呼ばれ、
明治時代を偲ばせる建物が多く現存している。
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4旧登米警察署庁舎
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旧水澤県庁舎
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鈴彦商店(町屋)
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non_nonさんのブログの小技からお借りしました。
宮城県登米郡登米町

今回はコメント欄を閉じさせていただきます。
  1. 2011/03/05(土) 21:00:31|
  2. 奥の細道

大江戸街歩き   亀戸

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non_nonさんのソースをお借りしました



香取神社
昔、亀戸は亀の形をした小さな島で、亀島とか亀津島と呼ばれていた。
天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国へ降った際、この島に香取大神を勧請し、
太刀一振りを奉納して旅の安全を祈願した。これが起源だという。
承平天慶の乱の時、平将門の追討に向かった藤原秀郷は、
先勝祈願のために参籠した。乱の鎮定後、奉賽として弓矢を奉納し
勝矢と命名した。このような由緒や武道の神として崇敬された
香取大神の神徳に因み現在ではスポーツ振興の神として広く崇敬を集めている。
明治5年(1872)村社になった。昭和20年(1945)空襲で社殿が焼失し、
同23年(1948)再建。現在の社殿は同3年(1988)に落成した。
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亀ガ井
「若水や福も汲みあげ亀ガ井戸」
昔、この地は「亀ノ島」と呼ばれる海上の島だった。
やがてこの島に「亀村」という村ができ、村にあった「亀ヶ井」という
湧き水が有名になっ。その後「亀村」と「亀ヶ井」が混ざって
「亀井戸村」なり、江戸時代に「井」がなくなって「亀戸村」になった。
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亀戸七福神・大国神、恵比寿神
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パワースポット
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この辺りで大根作りが始まったのは、文久年間(一八六一から六四)の頃、
この周辺が栽培の中心地で、以来、明治時代にかけて盛んに栽培された。
この辺りは荒川水系によって出来た肥沃な粘土質だったため
肉質が緻密で白く冴えた肌の大根作りに適していた。
亀戸大根は30㎝位の短い大根で先がクサビ状に尖っている。
明治のころは「おかめ大根」とか「お多福大根」といわれていたが
大正初期になって「亀戸大根」と呼ばれるようになった。
宅地化が進んだ大正の終り頃から産地は江戸川区小岩や
葛飾区高砂などに移っていった。

      亀戸大根
香取神社・・江東区亀戸3-57-22



  1. 2011/03/04(金) 09:29:26|
  2. 東  京
  3. | コメント:18

奥の細道56  石巻

巻 石
大島神社境内にある巻石は、石巻の地名の発祥となった所と
伝えられており、北上川の流れが、ここで渦を巻いていたことから
、この名がついたといわれている。
芭蕉が訪れた歌枕「袖の渡り」があり、多くの歌碑がある。
マウスオンして下さい。


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袖の渡り
古くから歌枕で知られた、旧金華山道の渡し場だった。
源義経が船賃の代わりに片袖をちぎって船頭に与えたと伝えられ、
明治期には「墨廼江渡し」「一文渡し」とも呼ばれていた。
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大島神社
三代実録の清和天皇貞観5年(863年)10月29日条に
「陸奥国勲九等飯大島神 授五位下」と記される式内社で、
水難防除の神として崇敬されてきた。
現社殿は宝暦3年(1753)に造営され
明治7年に村社となり住吉神社を大島神社と改称した。
マウスオン・クリック、3枚です
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大島神社・・石巻市住吉町1-3-1

今回はコメント欄を閉じさせていただきます。




  1. 2011/03/03(木) 20:21:32|
  2. 奥の細道

大江戸街歩き   亀戸

うさぎ苔です。
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光明寺
弘治元年(1555)の創建
境内に寛永5年(1628)の法篋印塔、延宝4年(1676)の庚申塔
越後国(新潟県新発田藩主・溝口宣広奉納の寛永寺旧蔵石造燈籠、
浮世絵師・二世歌川豊国の墓がある。


地蔵堂
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光明寺・・江東区亀戸3-42-1


普門院
大永2年(1522)に創建され、元和2年(1616)当地へ移転した。
当地に移る際、梵鐘を隅田川に落としてしまい、
それが鐘ヶ淵(墨田区)の地名の由来となった。
歌人の伊藤左千夫や幕末の名横綱・秀ノ山雷五郎の墓がある。
亀戸七福神・毘沙門天としても親しまれている。
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毘沙門天堂
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伊藤 左千夫・元治元年(1864)~ 大正2年(1913)
歌人で小説家。「野菊の墓」『隣の嫁』『春の潮』の作者
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普門院・・江東区亀戸3-43-3

  1. 2011/03/02(水) 14:07:12|
  2. 東  京
  3. | コメント:16

奥の細道55  石巻

日和山公園 (石巻城跡)
芭蕉や宮沢賢治、斉藤茂吉、石川啄木ら多くの文人たちが訪れ、
歌を詠んでいる。芭蕉・曽良像や句碑がある。
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芭蕉の句碑
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芭蕉と曽良の像
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マウスオン2枚です 
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日和山鹿島御児神社
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日和山公園・・宮城県石巻市日和が丘2-1-10

今回はコメント欄を閉じさせていただきます。



  1. 2011/03/01(火) 08:30:56|
  2. 奥の細道

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