すたのピンコロ日記

旅をして、美味しいものを食べて、毎日を楽しく!

大江戸街歩き   新宿区

画像の上でクリックして下さい、別画面がでます。
天文屋敷跡

今は・・・
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光照寺
慶長8年(1603)増上寺の末寺として、神田元誓願寺寺町に起立。
正保2年(1645)ここ牛込城跡に移転した。
徳川家康の叔父松平治良右衛門の開基。
鐘楼堂は明治元年(1868)神仏分離令の発布に伴って
各地に起った廃仏棄釈によって取壊された。
その後、60年の歳月を経て昭和12年(1937)に復興されたが
昭和20年(1945)の第二次大戦の際、空襲により本堂とともに
焼け落ちたが、梵鐘は供出されていたために、戦火を逃れ
後に返還された。
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光照寺・・新宿区袋町15


地蔵坂
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大分から、SDカードの読み込みがうまくいかなくて
カメラと直接繋いで読み込んでいたんですが
それも出来なくなって、富士通の故障センターで
教えてもらいながら、設定の見直しをしたんですが直らず
修理に出すことにしました。
他はどこも悪くないんですが、写真が読み込めないのは一番困ります。
修理とリカバリーというのをやって、一週間位かかるとの事なので
暫くお休みします。帰って来たら、またお付き合い下さい。
一週間、寂しいな~~~(ノд-。)クスン
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  1. 2011/07/23(土) 12:04:52|
  2. 東  京
  3. | コメント:24

大江戸街歩き   新宿

済松院
三代将軍・徳川家光の創建と伝えられる。
開祖は春日局の姪で家光の比丘尼衆となった祖心尼(ソシンニ)
庭には、創立当時のままといわれる「鳳凰の池」があり
都会の喧騒の中で静寂を保っている。
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「鳳凰の池」
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亀甲竹
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済松院・・新宿区榎町77
  1. 2011/07/22(金) 09:49:30|
  2. 東  京
  3. | コメント:10

大江戸街歩き   新宿区

宗参寺
天文13年(1544)牛込城主藤原勝行により創建された。
牛込氏、赤穂義士の師・山鹿素行の菩提寺として知られ、
その墓は国指定史跡になっている。
山鹿素行は会津に生まれて江戸で儒学や兵学を学んだ。家塾を開いて
多くの門弟を育てたが、当時の官学であった朱子学を批判したため
赤穂藩へ流された。晩年には許されて江戸に帰り「積徳堂」を開いた。
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宗参寺・・新宿区弁天町9


多聞院
新劇女優・松井須磨子の墓がある。
松井須磨子は明治19年、長野県生まれ。
24歳の時、坪内逍遥が余丁町につくった文芸協会演劇研究所に合格
44年、第一回公演の「ハムレット」でオフェリアを好演。
大正2年に島村抱月とともに文芸協会を去って芸術座を組織し、
新劇女優として全国的な人気を博したが、
大正7年(1918)に抱月が病死するとその2ヶ月後に後追い自殺をした。
遺書には抱月といっしょに埋葬してほしいと記されていたが、
周囲の反対によって故郷に葬られて、その後この多門院に分骨埋葬された。
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多聞院・・新宿区弁天町100


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  1. 2011/07/20(水) 08:28:44|
  2. 東  京
  3. | コメント:8

大江戸街歩き   新宿区

夏目漱石誕生の地
東京メトロ早稲田駅を出てすぐの夏目通りにある牛丼の吉野家は
かって漱石が誕生した家があった。漱石は慶応3年(1867)1月5日
牛込馬場下横町の名主・夏目小兵衛直克の末子として生まれた。

マウスオンして下さい。


今はマンションに・・・一階は、牛丼の「吉野家」
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夏目漱石誕生の地・・新宿区喜久井町1


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夏目漱石終焉の地
明治38年(1905)から翌年4月にかけて「ホトトギス」に連載した
「我輩は猫である」によって文豪として有名になった。
本郷から早稲田南町に移転し、ここで「坑夫」「三四郎」「それから」
「門」「彼岸過迄」「行人」「心」「道草」などの代表作を書いた。
大正5年5月から連載をはじめた「明暗」執筆中に持病の胃潰瘍のため
50歳で没した。漱石は小説以外にも多くの小品、随筆、紀行などを数多く書いている。

マウスオンして下さい。


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夏目漱石終焉の地・・新宿区早稲田南町7

今回はコメント欄を閉じさせていただきます。
次回、宜しくお願いします。

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  1. 2011/07/18(月) 12:16:03|
  2. 東  京

大江戸街歩き   新宿区

早稲田穴八幡神社
康平5年(1062)源義家(八幡太郎)が奥州からの凱旋の途中、
ここに兜と太刀を納め、京都の岩清水八幡宮を分け移して祀った。
寛永13年(1636)幕府御弓組頭だった松平新五左衛門尉直次が
射撃練習をするために、ここに的山を築き、
弓矢の守護神「八幡神」を祀る小祠を造った。
寛永18年(1641)隣接する放生寺の良晶和尚が草庵を建てようとして、
山裾を切り開いたところ、深さ4㍍位の横穴を発見し、
そこに金銅の阿弥陀如来像が立っていたという逸話が広まり
「穴八幡宮」と呼ばれるようになった。
正保3年(1646)三代将軍・家光の厄除けの祈祷を行って以来、
幕府の祈願所・城北の総鎮護となった。
享保13年(1728)八代将軍・吉宗は世嗣の疱瘡平癒祈願のため
流鏑馬を奉納した。また江戸の庶民からも信仰を集め、
特に蟲封じの祈祷は有名だった。早稲田周辺の寺院や神社は、
早稲田大学建設に伴い取り壊して近くに移転し、創建当時とは
異なる場所にあるものが多いが、穴八幡宮は創建当時から移転していない。
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布袋尊、右手はどこに?     マウスオン2枚です 
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早稲田穴八幡神社・・新宿区西早稲田 2-1-11
  1. 2011/07/16(土) 06:47:16|
  2. 東  京
  3. | コメント:12

長野県松本市

上高地  (標高約1,500m)
長野県西部の飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地。
中部山岳国立公園の一部ともなっていて、
国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)
昔は神垣内と書いたが、後に現在の上高地が一般的になった。
神垣内とは、穂高神社の祭神・穂高見命(ホタカミノミコト)が穂高岳に降臨し、
この地(穂高神社奥宮と明神池)で祀られていることに由来する。
温泉があり、穂高連峰や槍ヶ岳の登山基地ともなっている。
 

大正池
大正4年(1915)の焼岳の大噴火の時に生じた火山泥流が
梓川をせきとめてつくった池
この池は昭和初期以来、発電用の貯水池として
利用されているが、焼岳の斜面や梓川の上流から
流れ込む土砂によって、徐々に埋まり
今では殆ど川に近くなっている。
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北アルプスには、何億年も前からの地層があるが
それらが隆起して現在のような山になったのは、200万年ほど前。
この急激な隆起とともに、梓川は深い谷を刻んだ。
上高地の細長い平地は、この深い谷を焼岳の噴出物や
周囲の山からの土砂が埋めた結果できたもの。
クリック10枚です。
<<
北斗さんのソースをお借りしました


田代池
正面にある六百山や霞沢岳などから砂礫層を通って
湧き出てくる伏流水に養われている。枯れた水草などが底に積もって
少しずつ埋まり、長い年月をかけて湿原になっていく。
昭和50年・夏の大雨で大量の土砂が流れ込み
池の大半以上が埋まった。
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今日は、大正池でお弁当を食べて、かっぱばしまで
二時間チョッと、大自然の森林浴を楽しんだ。 20110708-101637-69254400.gif
長野県松本市安曇上高地    続きを読む
  1. 2011/07/10(日) 16:37:38|
  2. ウォーク
  3. | コメント:20

大江戸街歩き   文京区

占春園 (教育の森公園)
水戸徳川家二代・光圀の弟、松平頼元が(1659)
ここに屋敷を構えた。明治36年(1903)東京高等師範学校が
湯島から移り、占春園は校地の一部になった。
現在は筑波大学付属小学校の自然観察園になっていて公開されている。
占春園


湯立坂(幽霊坂とも呼ばれている)
教育の森公園に囲まれた筑波大学・教育学部の脇を
春日通りの茗荷谷駅近くから、千川通りに下る坂。
名前の由来は、里人の説では昔、この坂の下は
千川の入り江で、氷川明神へは河を隔ててわたることが出来ず
此処の氏子たちはこの坂で湯花を奉ったところから名づけられた。
湯立坂

旧磯野家
湯立坂の途中に旧磯野家がある。
実業家の磯野敬(1868~1925)が建設した住宅で
主屋は明治42年着工、大正元年竣工、車寄を備えた平屋建の書院棟、
3階建の応接棟、平屋建の旧台所棟などからなる。
屋根は銅板葺で、外壁にも銅板を張り巡らされている外観から
「銅御殿」と呼ばれている。材料は、国産の吟味された良材
棚、天井、建具、欄間などの造作や意匠、狂いのない塗壁に熟達した
木造建築技術の一端が窺われる。
東京に残る数少ない明治末期から大正初頭にかけての邸宅建築のひとつで、
材料・意匠・技法・構成において伝統的な木造建築の技術と
明治以降の大工技術の創意とが融合した近代和風建築として高い価値がある。
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磯野家と坂
表門は大正2年に竣工で、尾州檜の太い丸太材を柱に用いた四脚門。
磯野家門
旧磯野家・・文京区小石川 5-19-4
  1. 2011/07/08(金) 08:49:48|
  2. 東  京
  3. | コメント:10

大江戸街歩き   文京区

林泉寺の縛られ地蔵
慶長年(1602)伊藤半兵衛長光の開基、通山宗徹を開山として創立された。
しばられ地蔵尊2

お地蔵様が縛られる由来は、江戸時代に遡る。
享保年間(1716~36年)のある夏の暑い昼下がり、
日本橋の呉服間屋の手代が大八車に反物を山と積んで、
業平橋(現・墨田区)近くの南蔵院の門前を通りかかった。
あまりの暑さに木かげでひと休みしたところ寝入ってしまい、
目がさめるとさあ大変、門前に置いた反物は車ごと無くなっていた。
あわてた手代はさっそく町奉行へ訴え出た。
取調べに当たった町奉行・大岡越前守忠相は、
「反物が盗まれたのを見すごすとは、門前の地蔵も同罪である。
縄打って引っ立てて参れ」と命じた。
地蔵は、荒縄でぐるぐる巻きにされ、大八車に乗せられて
奉行所へ連れて行かれた。
物見高いは江戸っ子の常、前代未聞の地蔵の引き立てに、
ぞろぞろとついて行った。
奉行所の門は開け開かれ、民衆は中まで入っていった。
頃合を見て越前守は門を閉めて「奉行所の白州へ乱入するとは不届至極、
その罰として反物一反を納めよ」 野次馬たちは驚いたが、
納められた反物から盗まれた反物が発見され、
大盗賊団がことごとく捕まって一件落着したという。
しばられ地蔵尊

しばられ地蔵尊1
林泉寺・・文京区小日向 4-7-2)
  1. 2011/07/06(水) 10:15:52|
  2. 東  京
  3. | コメント:14

大江戸街歩き   文京区

宗慶寺 
応永22年(1415)常陸国の了誉聖冏(リョウヨショウゲイ)がこの地で庵を開いた。
その後、徳川家康の生母・お大の方が現在の伝通院に葬られ、
聖冏の開いた庵を移し「伝通院」とした。
元和7年(1621)松平忠輝の母(家康の側室)の墓所となり、
法名にちなみ吉水山朝覚院宗慶寺と称するようになった。
小石川七福神の一つ、寿老人を祀る。
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宗慶寺・・文京区小石川 4-15-17 

石川啄木終焉の地
石川啄木

深光寺
寛永16年(1639)の開山。
南総里見八犬伝などで知られる滝沢馬琴の墓がある。
小石川七福神の恵比寿神札所。
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滝沢馬琴については、マウスオンして下さい。

恵比寿天
恵比須
深光寺・・文京区小日向 4-9-5

今回はコメント欄を閉じさせていただきます。
次回、宜しくお願いします。


  1. 2011/07/04(月) 21:04:57|
  2. 東  京

鎌倉を歩く

明月院
花想い地蔵
人は誰しも はかない花の想い出の中に生きています。
大切な人との別れ、いとおしい物との別れ
そんな時、ふと目に止まった花が、どんなにか
心を慰めてくれたことでしょうか
いつくしみ深き花地蔵と書いてあった。
花地蔵

テレビでも紹介される人力車のおじさん
人力車

岩煙草
北条時宗の夫人覚山尼が建立し、駆け込み寺、縁切り寺などと言われ、
明治まで尼寺であった東慶寺境内の崖に生えていた。
1㌢位の小さな花で、葉がタバコに似ているというのが名前の由来。
マウスオン2枚です 
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半夏生
半夏生

成就院
成就院1

五葉どくだみ
五葉どくだみ

ご用どくだみ

  1. 2011/07/02(土) 10:48:15|
  2. 鎌  倉
  3. | コメント:18

クラシック・アナログ時計

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