すたのピンコロ日記

旅をして、美味しいものを食べて、毎日を楽しく!

大江戸街歩き   銀座③京橋

有楽町から京橋に向かって歩く

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京橋大根河岸跡
江戸時代、京橋川河岸は野菜の荷揚場で(最初は数寄屋橋周辺にあった)
江戸八百八町の住民たちに新鮮な野菜を提供していた。
この大根河岸は、関東大震災まで続いていたが
震災後は、神田や築地に移転した
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所在地・・京橋 3-4先


江戸歌舞伎発祥の碑
東都の劇団で伝統と人気を誇った中村座は
寛永元年(1624)この地に櫓をあげた。
当時、このあたりには人形繰り座、浄瑠璃座などの小屋が
ひしめいていたという。
後に、お城に近いとの理由で浅草・猿若町に移転させられた。
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京橋にある「吉野家」と隣にあるアジフライ専門店
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京橋の碑
京橋は、日本橋と同時代の慶長年間に架橋された。
江戸から京都に向かう最初の橋であったのが名の由来。
江戸時代中期には、ここの擬宝珠に縄を結んで願うと
咳止めにきくといわれた。
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いまも保存されているガス灯
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  1. 2012/03/31(土) 23:29:43|
  2. 東  京
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大江戸街歩き    銀座②


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泰明小学校
明治11年(1879)6月開校と歴史は古い。
東京銀座に位置し、島崎藤村や北村透谷など著名な
卒業生を多く有する名門小学校として知られている。
この門扉は南フランスの貴族の館で使用されていたもの。
現在の校舎は、関東大震災後の復興小学校の一つとして
昭和4年(1929)に建設された。
その後、太平洋戦争中の昭和20年(1945)5月の
銀座大空襲によって大きな被害を受けたが、
構造的には被害は少なく、内外復旧工事を経て、
現在もほぼ建設当初のままの姿を保っている。
この日は、卒業式だった。
    
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所在地・・中央区銀座 5-1-13


数寄屋橋通り
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数寄屋橋跡
寛永6年(1629)江戸城外見附として架けられた。
銀座の入り口として親しまれ、菊田一夫の「君の名は」で一躍有名に。
現在橋はなく、岡本太郎作「若い時計台(1966年制作)と碑がある。
ここは明治大学の前身である明治法律学校(明治14年開校)が
あった所。
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銀恋の碑
♪ 心の底からしびれるような~ ♪
誰でも一度はテュエットしたことがある?銀座の恋の物語
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所在地・・中央区銀座 1-5-13 続きを読む
  1. 2012/03/29(木) 23:49:54|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   銀座①

有楽町の地名の由来
戦国時代を代表する武将・織田信長の実弟で
安土桃山から江戸時代初期の大名茶人で
千利休にも学んだ織田有楽斎長益の屋敷があった。
屋敷跡を有楽ヶ原(ウラクガハラ)と呼んだことに
由来するといわれている。
また数寄屋をいくつも建てたので、数寄屋橋の由来になったという。


南町奉行所跡
大岡越前で有名な南町奉行所跡は、有楽町駅前一帯。
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有楽町に桜が咲いた。
22日の朝、テレビで有楽町の桜が満開です・・・
ってニュースを見ましたが、
これだったんですね~~全国の桜が集められて、満開
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「有楽町で逢いましょう」の碑
♪あなたを待てば 雨が降る~♪
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所在地・・千代田区有楽町二丁目 続きを読む
  1. 2012/03/27(火) 16:47:11|
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奥の細道111    山中温泉

山中温泉

菊の湯
奈良時代の高僧・行基が1300年ほど前に発見した。
以来、浴場の場所が一度も変わったことがない。
昭和のはじめまで、旅館には内湯がなく
浴客はみな「湯座屋」と呼ばれたこの総湯に入っていた。
草津・有馬とともに、芭蕉が称賛した日本三名湯の一つ。

男  湯
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左が女  湯    右は物産店
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泉屋跡
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  1. 2012/03/25(日) 13:30:53|
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奥の細道110     山中温泉

大木戸跡
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芭蕉館
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  1. 2012/03/23(金) 07:45:12|
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奥の細道109

那谷寺
養老元年(717)泰澄法師が、越前国江沼郡に千手観音を安置したのが始まり。
その後、寛和2年(986)花山法皇が行幸の折り岩窟で
輝く観音三十三身の姿を感じ、求る観音霊場三十三カ所は
すべてこの山に凝縮されるとし、西国三十三観音の一番「那智」と
三十三番「谷汲」の山号から一字ずつを取り「自主山厳屋寺」から
「那谷寺」へと改名
南北朝時代に戦乱に巻き込まれ荒廃した。
近世に入って加賀藩藩主前田利常が再建。
この時の大工は気多大社拝殿を建てたのと同じ山上善右衛門。
前田利常は、江沼郡の大半を支藩の大聖寺藩に分置したが、
この那谷寺がある那谷村付近は自身の隠居領としたため、
その死後も加賀藩領となった。

山  門
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金堂華厳殿 
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奇岩遊仙境     マウスオン2枚です 
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元禄2年(1689)奥の細道の松尾芭蕉は弟子の河合曾良と山中温泉で別れ、
数日前滞在した小松へ戻る道中参詣し、奇岩霊石がそそりたつ
遊仙境の岩肌を臨み句を詠んでいる。
石山の 石より白し 秋の風  芭蕉
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楓月橋                鎮守堂
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鐘  楼
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所在地・・石川県小松市那谷町ユ122 続きを読む
  1. 2012/03/21(水) 16:29:14|
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奥の細道108    安宅関

安宅住吉神社
日本海沿岸に鎮座する神社。
境内に安宅の関址があり、「安宅」「勧進帳」にも取り上げられた伝承から
難関突破の神として知られる。

拝  殿
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弁慶逆植えの松
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それつらつら憧んみれば 大恩教主の秋の月は 
涅槃の雲に隠れ生死長夜の 長き夢 驚かすべき人もなし 
ここに中頃 帝おわします おん名をば聖武皇帝と名付け奉り 
最愛の夫人に別れ 恋慕止み難く 涕泣眼にあらく 
涙玉を貫く思を善途に翻して 廬遮那佛を建立す 
かほどの霊場の絶えなんことを悲しみて
俊乗坊重源 諸国に勧進す
一紙半銭の奉財の輩は この世にては無比の楽を誇り
当来にては数千蓮華の上に座せん
帰命稽首 敬って白す

     勧進帳

所在地・・石川県小松市安宅町タ17


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  1. 2012/03/20(火) 09:19:17|
  2. 奥の細道
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奥の細道107

篠原古戦場
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実盛塚
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実盛首洗池
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うなだれる二人の郎党と、実盛の首を抱えて涙ながらに天を仰ぐ義仲。
そして、正面に据えられた主なき兜…。
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芭蕉の句碑
むざんやな 兜の下のきりぎりす
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所在地・・石川県加賀市芝山町
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  1. 2012/03/18(日) 22:26:09|
  2. 奥の細道
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奥の細道106

建聖寺
開基は、金沢大乗寺第十三世雪窓祐補が、永禄11年(1568)
能美郡寺井野村(現在の能美郡寺井町)に一宇を建てた。
天正8年(1580)、小松城主・村山周防守義明の信頼厚く命によって
城北に寺地一千坪を賜り、新しく伽藍を建立し寺井より移転した。
寛永17年(1640)、前田利常の小松入城に際し、
城郭拡張のため、寺町に百坪を与えられ転居した。
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笈(オイ)
中国では文箱のことを笈といった。
日本では山伏(ヤマブシ)、修験僧(シュゲンソウ)などが仏像や仏具を
納めて背負って歩く木製の箱のことを言う。
笈の形は細長のやや扁平の箱で、四柱が脚になっている。
観音開きの扉がついていて、錫杖(シャクジョウ)と数珠でひとそろいになっている。
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松尾芭蕉が門人曾良を伴い「奥の細道」の旅に出て、
元禄2年(1689)旧暦7月24日
小松に到着した芭蕉一行は句会を催し
小松での滞在地の一つであった建聖寺に蕉門十哲の一人、
立花北枝作による座像の芭蕉木像が残されている。
しほらしき 名や小松吹 萩すすき  蕉翁
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所在地・・石川県小松市寺町94
  1. 2012/03/16(金) 20:23:46|
  2. 奥の細道
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奥の細道105   小松

本折日吉神社
小松市のほぼ中央に鎮座し
創始は古く、往古より能美郡得橋郷、国府村(現今の古府町)
府南山(後、舟見山)に鎮座され霊験があらたかで、
国司(今の県知事)を始めとして夥しい崇敬者があつた
安元年中鵜川涌泉寺の合戦が起り、その災害をうけ治承3年
現在の地に遷座され、新たに祠殿を建立して、山王宮と称した。
天正4年、若林長門が小松に城を築き、尊崇し社殿を修理したが
後年、柴田勝家の兵火にかかり殿宇の一半を失つたが、
慶長年中、丹羽長重城主となるに及んで、当社を再興し神鏡、
古刀等を奉納し、命じて本折八ケ町の産土神となした。
寛永17年、加賀3代藩主前田利常養老として小松に入城せられ、
その神徳を感仰せられ当社を祈祷所となし、且、本郡の総社と定め
社地を賜い奉幣の儀を行い、毎年神輿の渡御には先ず城の大手前にて
三州(加賀、能登、越中)の無事安泰と前田家の武運長久を祈るを例とせられた。
明治8年、本折の郷という橋南一帯の広い地名をとり
社名を本折日吉神社と改めた。

山王鳥居
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拝  殿
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神  猿    マウスオン2枚です 
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下照比社       マウスオン2枚です 
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芭蕉留杖の地
元禄2年7月24日(1689)に小松に着き、
翌25日俳人の当社神官藤村伊豆守章重屋敷で催された「山王句会」に於いて
「しほらしき名や小松吹く萩薄」の句を吟じ、
藤村氏の歓待を受け二夜の歓を尽くされた事は、
随行者曾良の日記によって極めて明瞭であり、
曽遊の地境内にその句碑が建っている。
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所在地・・小松市本折町1

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  1. 2012/03/14(水) 09:19:18|
  2. 奥の細道
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奥の細道104    小松

多太神社
寿永2年(1183)5月、倶利伽羅峠の一戦で大敗を喫した平維盛を総帥とする
平家の大軍は、加賀の篠原に再陣して抵抗を試みたが、
木曾義仲軍の前に総崩れとなり都に逃走した。
この時、踏みとどまって白髪を黒く染め、若者に伍して奮戦し、
手塚光盛に討たれた斎藤別当実盛は73歳であったと伝えられる。
討ち取った首を池(現在の首洗池)で洗ってみると、黒髪はたちまち白髪に変った。
実盛はかつて幼少の義仲を救った命の恩人で、義仲は実盛の首級と涙の対面をし、
懇ろに弔い、その着具であった甲冑を多太神社に納めた。
この甲、大袖、臑当は重要文化財に指定されている。
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芭蕉像             斎藤別当実盛像
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拝  殿
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この宝物殿に納められている、斎藤実盛の甲、大袖、臑当は
通常は見られないのだが、特別に見せていただいた。
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芭蕉翁一行が多太神社に詣でたのが元禄2年(1698)7月25日であった。
7月27日小松を出発して山中温泉に向かう時に再び多太神社に詣で
それぞれ次ぎの句を奉納した。
あなむざん 甲の下の きりぎりす  芭蕉
幾秋か 甲にきへぬ 鬢の霜  曽良
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多太神社・・小松市上本折町72
  1. 2012/03/12(月) 09:14:31|
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奥の細道103


ご無沙汰しました。
先月の26日に突然パソコンが起動しなくなりました。
電源を入れてWindowsの画面までは開くのですが
その後、どうしても動きません。
富士通に電話して、聞きながら色々試してみたのですが・・・
今回、修理に出しても来年の5月には部品がなくなるので
その後、修理が出来なくなるというので買い替える事にしました。
パソコンが来るまで約一週間、と思っていたら
3月2日、突然、母が亡くなりました。
95歳の老衰で苦しむことなく逝ったことが唯一の救いです。
葬儀も終わり、少し落ち着いたところです。
これからもよろしくお願いします。


本龍寺
開基520年の浄土真宗の古刹。本堂は200年の歴史を持つ。
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7月23日(陽暦9月6日)、芭蕉は金沢の俳人雲口を主とした人々に
誘われて、宮の腰(金石)を訪れた。金石で詠んだ句が
小 鯛 さ す 柳 凉 し や 海 士 が つ ま
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本龍寺境内には江戸後期の豪商銭屋五兵衛の墓がある。
銭屋五兵衛は、加賀の人で、主に日本海側や大阪などとの間での
海運、問屋、両替商などを手がけ巨富を築く。
晩年、河北潟埋立工事を行なって漁民の怨みをかい、
罪を得て獄中で病死(1773-1852)。
本龍寺・・金沢市金石西3-2-23


富樫館跡
富樫氏は、鎌倉時代終りから急速に成長していった武士団である。
建武2年(1335)高家が加賀国の守護となり、館を構えてから18代に渡り
守護所として当時の加賀国の政治経済の中心地となったところ。
現在では、館跡を示す石碑のみが建っている。
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  1. 2012/03/08(木) 09:33:19|
  2. 奥の細道
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