fc2ブログ

すたのピンコロ日記

旅をして、美味しいものを食べて、毎日を楽しく!

大江戸街歩き   上野~浅草⑥

矢先稲荷神社
寛永19年(1642)11月23日、三代将軍徳川家光公が
国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、
江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立した。
三十三間堂では、弓の射技練成のために「通し矢」が行われた。
通し矢は先人に勝てば堂に掲額できるとあって武士としての
名誉となり、大いに流行したようだ。
この通し矢は江戸市民にも観覧が許され、評判を博した。
京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として
稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので
「矢先稲荷」と名づけられた。約60年後の元禄11年(1698)9月6日、
浅草を中心とした大火で焼失してしまい、三十三間堂は
深川に移転を命ぜられたが鎮守であるこの社は、
信仰心の篤い町民の要望で産土神として再建が許された。
a12051817.jpg
所在地・・台東区松が谷 2-14-1


聖徳寺
創建年代は不詳だが、聖実清公上人が創建したと伝えられる。
徳川家康の関東入国翌年に、坪根沢から平河へ、後に大船、
馬喰町への移転を経て、明暦3年の大火後、当地へ移転した。
玉川用水を開削した玉川兄弟の墓所がある。
庄右衛門・清右衛門の兄弟は、玉川上水開削工事の請負者で
四代将軍将軍・家綱の承応2年(1653)1月13日に幕命が下り、
2月11日に着工され、工事費として幕府から7500両が下賜されたという。
羽村から四谷大木戸に至る43kmの導水部は、
承応3年(1654)6月20日に完成した。
その後、給水地域は順次拡大され、江戸城内をはじめ四谷・麹町
赤坂の高台などの山の手から、芝・京橋方面に及んでいる。
現存する玉川上水は、江戸時代初期の土木技術の水澤を
今日に伝える貴重な文化財である。
近世都市江戸の水道施設建設の功績により、
兄弟は200石の扶持を賜り、玉川上水役に任ぜられた。
また玉川という名字を与えられ、帯刀も許された。
a12051818.jpg
玉川兄弟の墓
a12051819.jpg  a12051820.jpg
所在地・・台東区松ヶ谷 2-3-3

続きを読む
スポンサーサイト



  1. 2012/06/16(土) 14:13:56|
  2. 東  京
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

クラシック・アナログ時計

プロフィール

すた

Author:すた
毎日笑って、楽しく過ごしたい!

カレンダー


カテゴリ

東  京 (331)
  旅   (374)
大江戸街歩き (82)
街道巡り (376)
ウォーク (19)
鎌  倉 (22)
横  浜 (8)
奥の細道 (149)
  花 (26)
東北の旅 (60)
加  工 (1)
コミュニティ (0)
未分類 (8)
その他 (15)
動物・鳥 (1)

電力使用状況&電気予報

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

最新トラックバック

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSリンクの表示

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR