すたのピンコロ日記

旅をして、美味しいものを食べて、毎日を楽しく!

大江戸街歩き   千住界隈

勝專寺(赤門寺)
京都知恩院を本山とし、赤門寺という通称で親しまれている。
文応元年(1260)勝専社専阿上人を開山、
新井政勝を開基とし草創された。
江戸時代に日光道中が整備されると、
ここに徳川家の御殿が造営され、
徳川家忠・家光・家綱の利用があった。
また日光門主等の本陣御用を勤めた記録も見られ、
千住宿の拠点の一つであったことが知られる。
木造千手観音立像は千住の地名起源の一つとされ
開基新井政勝の父正次が荒川から引き上げたという伝承を持つ。
勝專寺1

勝專寺2

マウスオン2枚です 
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所在地・・足立区千住 2-11                          


金蔵院(コンゾウジ)
氷川山地蔵院といい、建武2年(1335)の創建。
門を入るとすぐ左に2つの無縁塔がある。
向かって右が天保8年(1837)の大飢饉での餓死者の供養塔。
餓死者828人のうち370人をここに葬ったとある。
左側が千住宿の遊女の供養塔。
千住宿には本陣・脇本陣のほか55軒の旅籠があり、
うち36軒は遊女屋で大変賑わったというが、
ここで病死した遊女は無縁物同様に葬られた。
金蔵院1

金蔵院2

金蔵院3
所在地・・足立区千住 5-22-3
                           

一年間、拙いブログに付き合っていただいた
多くの皆様、有難うございました。
またコメントや励ましの言葉をいただいた
ブロ友の皆様、有難うございました。
とても励みになりました。
来年も懲りずにお付き合いください。
来年が皆様にとって、より良い年でありますように
お祈りしています。


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  1. 2012/12/30(日) 10:41:45|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   千住界隈

不動院
元弘2年(1332)秀天上人の開山。
もと吉祥院の末寺で、白幡八幡神社の別当と伝えられている。
不動院1

正面「南無阿弥陀仏」右側面「芸州」と大書した供養塔。
明治維新の際、戊辰戦争に従軍した芸州藩の軍夫、従属者のうち
千住近在から参加した者の戦死者を永代供養したもの。
不動院3

川魚料理人の人たちが、魚類の冥福を祈るために建立した包丁塚。
千住宿旅籠屋一同が万延元年(1860)に建てた
不動院4
所在地・・足立区千住 1-2-2 


慈眼寺
正和3年(1314)行覚上人が関東巡錫の時に創建された。
三代将軍徳川家光の時、聖観世音菩薩像を安置し本尊とした。
以来、将軍が日光東照宮社参の際の休息所となり、
江戸城北方鎮護の寺として、葵の慈紋を許された寺院。
慈眼寺
慈眼寺1
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所在地・・足立区千住 1-2-9

   
  1. 2012/12/28(金) 12:15:24|
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大江戸街歩き   千住界隈

源長寺
慶長3年(1598)この地に住み開拓した石出掃部亮吉胤が
同15年(1610)一族の菩提寺として開いたが、
千住大橋架橋等に尽くした郡代伊奈備前守忠次を敬慕して
その法名にちなむ寺号を付して開基としている。
石出掃部亮吉胤墓、大阪冬の陣西軍の武将矢野和泉守墓、
女行者心静法尼墓、三遊亭円朝が心静に報恩寄進した石燈籠、
草創期の寺子屋師匠だった多坂梅里翁の筆子塚、
一啓斎路川句碑等がある。
源長寺1
厳長寺2
所在地・・足立区千住仲町 4-1 

東京芸術センター前の千住仲町商店街入り口の交差点に
千住高札場跡・一里塚跡の碑があった。
千住高札場跡 i一里塚
今は、その面影もない
千住一里塚跡

森鴎外旧居跡
マウスオンして下さい。


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所在地・・足立区千住 1-30-8 
  1. 2012/12/27(木) 11:15:38|
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大江戸街歩き   千住界隈

河原稲荷神社
明治維新後は千住町中組堤外西耕地の村社。
現在は東京都中央卸売市場足立市場(ヤッチャバ)の鎮守。
千住青物市場は天正4年(1576)に創設され、
神田・駒込とともに江戸三大市場に数えられた。
創建年代等は不詳だが、安永5年(1776)本殿の御遷宮があり、
文化元年(1804)には拝殿を造営している。
河原1

河原2
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所在地・・足立区千住河原町 10-13 

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  1. 2012/12/26(水) 11:45:41|
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大江戸街歩き   千住界隈

千住大橋
徳川家康が奥州へ道を開くことを目的として
文禄2年(1594)、家臣の架橋奉行・伊奈忠次に命じて
架けさせた隅田川最古の橋で、架設当時の橋は
「大橋」「小塚原橋」と呼ばれており
長さ66間(約120m)幅4間(約7m)の木製だった。
江戸時代には東北と江戸を結ぶ要所として大名が多数往来し
俳人・松尾芭蕉も、千住で舟を降り立ち、
ここから奥の細道紀行へと旅立って行った。
現在の千住大橋は、昭和47年完成の新橋との二重橋構造で
近代橋梁の名作として知られている。
ブレーストリブタイドアーチという形式で、
この形式では我が国最古の橋になる。
千住大橋1

千住大橋2

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所在地・・荒川区南千住 6-70  

  
松尾芭蕉 矢立初めの地
行く春や 鳥鳴き魚の 目は泪
矢立初め
所在地・・荒川区千住橋戸町                          

日光街道・千住宿
千住宿1

マウスオンして下さい。


千住宿3
千住宿4
千住宿5

千住宿を歩いていると、沢山の面白い木札を発見する。
地域の人たちが自分たちの町を愛する気持ちが伝わってくる。

      
  1. 2012/12/25(火) 08:49:41|
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大江戸街歩き   千住界隈

ラシャ場跡
ラシャ場11
ラシャ場2


ラシャ場3
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素盞雄神社
石を神として尊崇する信仰は全国各地にみられるもので、
この神社も石神信仰に基づく縁起を有する。
延暦14年(795)、荊石が微妙な光を放ち、
その光のうちに翁の姿をした二神、素盞雄命(スサノオノミコト)
事代主命(コトシロヌシノミコト)が現れて神託を告げたという。
そのためその石は「瑞光石」と呼ばれ、出現した二神を祭神として祀る。
素盞雄神社4

素盞雄大神(スサノオオオカミ)と
飛鳥大神(アスカオオカミ)(事代主命)を祭神とする、
荒川区内で最も広い氏子区域をもつ神社。
境内は、古来より「飛鳥の杜」と呼ばれていたが、
現在は周囲3.3m高さ30mの大銀杏「子育ての銀杏」が残るのみ。
母乳の出ない婦人がこの大銀杏の皮を煎じて飲むと
乳の出が良くなるという伝承がある。
素盞雄神社1
素盞雄神社3

素盞雄神社5 素盞雄神社6
素盞雄神社2

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マウスオン2枚です 
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所在地・・荒川区南千住 6-60-1 
  1. 2012/12/24(月) 11:31:30|
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大江戸街歩き   千住界隈

円通寺(黒門寺)
延暦10年(791)坂上田村麻呂によって開かれた。
明治維新の折、慶応4年(1868)に行われた上野戦争で
亡くなった彰義隊の隊員を現在上野公園の西郷隆盛像がある
あたりでこの寺の住職が火葬を行っている。
そのため、この寺には火葬を行った場所の近くにあった
上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、彰義隊の隊員の墓もある。
円通寺1

移築された上野寛永寺の総門(黒門)
この裏手に彰義隊の隊員の墓がある。
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彰義隊の隊員の墓
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1963年3月に発生し、1965年7月に解決した
吉展ちゃん誘拐殺人事件
吉展ちゃんの遺体はこの墓所に埋められていたという。



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マウスオン2枚です 
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マウスオン2枚です 
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所在地・・荒川区南千住 1-59-11 
  1. 2012/12/23(日) 11:38:56|
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大江戸街歩き   千住界隈   

浄閑寺
浄閑寺

浄閑寺1

浄閑寺2
新吉原総霊塔
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浄閑寺5
浄閑寺6
所在地・・荒川区南千住 2-1-12                        


永久寺(目黄不動)
目黄不動

目黄不動1
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  1. 2012/12/22(土) 10:35:13|
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大江戸街歩き   千住界隈

小塚原回向院
小塚原刑場は慶安4年(1651)に創設され
死体は丁寧に埋葬せず申し訳程度に土を被せるくらいだったので
夏になると周囲に臭気が充満し、野犬やイタチの類が
食い散らかして地獄のような有様だったという
この刑場での刑死者を弔うため、寛文7年(1667)に
両国回向院の住職・弟誉義観(テイヨ ギカン)が
隣接地に常行堂を創建した。
その後常磐線建設の際に線路が
敷地中央を通過したために分断され、
線路の南側は延命寺として独立、刑場跡は延命寺内にある。
文政5年(1822)南部藩の臣・相馬大作がここで処刑されて以後、
国事犯の刑死者の死体をここに埋めることになり
吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等
安政の大獄で処刑された志士達もここに埋葬された。
回向院1

吉田松蔭の陰墓
安政の大獄で処刑された長州の思想家・吉田松陰は、
処刑後に桂小五郎らの手により回向院で供養された、
墓には「松蔭二十一回猛士墓」との銘がある。
この一角には「安政の大獄」で処刑された獄死者の墓が並んでいる。
吉田松蔭の遺骸は文久3年1月、高杉晋作らの手により、
太夫山のちの松蔭神社に改葬された。
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橋本佐内の墓
安政の大獄で処刑された福井藩士・橋本左内の墓
文久2年に故郷福井善慶寺に改装された。
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有名盗賊の墓
腕の吉三郎、義賊・鼠小僧次郎吉、 毒婦・高橋お伝、片岡直二郎の墓
この墓は小塚原で処刑された盗賊の墓である。
回向院6

また明和8年(1771)に、ターヘル・アナトミアを手に入れた
蘭学者・杉田玄白・中川淳庵・前野良沢・桂川甫周らが
解剖図の正確性を確かめるために小塚原刑場において
刑死者の解剖(腑分け)に立ち合い、図の正確さに感嘆したことは
歴史的に有名な出来事。刑場は明治初期に廃止されたが、
創設から廃止までの間に
合計で20万人以上の罪人がここで処刑された。


吉展地蔵尊
昭和38年3月31日東京都台東区入谷町で
当時4歳の村越吉展ちゃんが誘拐され日本中を震撼させた。
戦後最初の児童営利誘拐殺人事件を慰霊する地蔵尊。
被害者、吉展ちゃんの遺体は円通寺の墓地で発見された。
回向院8
所在地・・荒川区南千住 5-33-13                           

延命寺
回向院10
首切地蔵
回向院9
回向院11
昨年の北日本大震災の時の被害
回向院122
所在地・・荒川区南千住 2-34-5 
  1. 2012/12/21(金) 17:12:21|
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大江戸街歩き   日野

高幡不動金剛寺
草創は大宝年間(701―704)以前とも、
或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられるが、
1100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が
清和天皇の勅願により東関鎮護の霊場を
高幡山山上に開いたのが始まり。
「高幡のお不動さん」と呼ばれ人々の信仰を集めて、
毎月28日の縁日には多くの参詣者で賑わう。
成田山新勝寺などとともに、関東三大不動の一とされる。
新選組副長として活躍した土方歳三の菩提寺であり
境内には土方歳三の銅像や殉節両雄の碑がある。
都内有数のアジサイの名所としても知られ、
6月上旬には境内奥の山には山アジサイが咲く。
高幡1
高幡仁王門

不動堂
高幡不動尊
奥 殿
高幡奥殿
山 門
高幡山門
大日堂
高幡大日堂
五重の塔
高幡五重の塔
大師堂
高幡大師堂

高幡5 高幡6
所在地・・日野市高幡 733  続きを読む
  1. 2012/12/20(木) 10:04:57|
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大江戸街歩き   日野

土方歳三の生家
日野高校が建っているこの地に、歳三が生まれた家があったが
弘化3年(1846) 歳三、12歳の6月、長雨による増水で
万願寺や石田村は大洪水に見舞われ流されてしまい
土方家も、少し離れた所に移転した。
日野高校
その後、文久3年(1863)2月、京都に上洛するまでの青春時代を
この地で過ごしたが、老朽化のため建直し、その頃の面影はないが
資料館として、第1・3日曜日の12時~16時まで開館している。
歳三の愛刀「和泉守兼定」や鎖帷子などの武具、
写真や手紙などが展示されている。
土方2
門を入った所に「歳三」の像がある。
土方5
所在地・・日野市石田 2-1-3  

隣には、石田村の名主・伊十郎の屋敷があったが
今は、この長屋門のみ残されている。
土方1

土方3
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  1. 2012/12/19(水) 11:25:08|
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大江戸街歩き   日野

とうかん森
古くから地元の土方一族(十家余)が祀ってきたもので
「とうかん」の呼称は、稲荷森「とうかもり」
または、十家「とうか」の音読に由来するといわれている。
この森は日野市の文化財にも指定されている。
が、「森」とはいうものの広がりはない。
祠を中心にムクノキとカヤの巨木がそびえ立ち、
一抱えもある藤が高く絡み付いている様は
あたりとは隔絶された空間を造り出している。
とうかんの森1
とうかんの森2
 土方さん
日野3
土方さん
日野4
こんなに立派なお寺みたいな、土方さん
日野5

カワセミのマンホール
日野6

どぶ板もカワセミ
RIMG0180.jpg
  1. 2012/12/18(火) 09:24:03|
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大江戸街歩き   日野

浅川を渡って
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石田寺(セキデンジ)
高幡山金剛寺の末寺
新選組副局長・土方歳三が生まれた石田村(イシダムラ)にある。
康安元年(1361)吉祥坊慶興という僧が建立したものの、
永和3年(1377)頃から衰えて一時は廃寺となった。
百数十年を経た天文13年(1544)7月9日、
多摩川に大洪水が起こり、一体の観音像が石田に流れ着いた。
それを村人が廃寺になった堂跡に
観音堂を建てて安置したのがきっかけになり、
文録2年(1593)に慶心という僧が一宇を建立、石田寺とした。
石田寺1
本 堂
石田寺2

観音堂
この十一面観音は、古くから勝負運に強く
また病魔退散、子育ての北向観音と呼ばれ
多くの信仰を集めている。
石田寺3

石田寺8
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マウスオン・クリック、3枚です 
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所在地・・日野市石田 1-1-10 

           続きを読む
  1. 2012/12/17(月) 10:19:54|
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大江戸街歩き     多摩丘陵 

百草八幡神社
花の名所として名高い百草園に隣接する。
創建は不明だが、永承6年(1051)奥州に下向する源頼義が
石清水八幡宮の霊土を埋め社を建てて戦勝祈願をしたと伝えられるが
社宝の石造狛犬に「天平」の文字が見えることから、
さらに歴史をさかのぼるともいわれる。
康平7年(1064)源頼義が奥州より戻る際、
奉賽として守り本尊の千手観音像、祭田500石を寄進したという。
建久3年(1192)源頼朝が武運長久を願い太刀一振りを奉納した。
往古、この辺りには鎌倉幕府の祈願寺とされた真慈悲寺があった。

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百草神社3 百草神社4


奉安殿
奉安殿に安置されている銅造阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財)は
真慈悲寺の僧・慶祐の発願によって建長2年(1250)に造られたもの。
真慈悲寺が廃寺となった後は百草八幡宮の本地仏として祀られてきた
年に一度、祭礼の時に公開される。
マウスオン2枚です 
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所在地・・日野市百草 867 


朝日山緑地
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  1. 2012/12/16(日) 08:55:00|
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大江戸街歩き   多摩丘陵

七生丘陵散策路
百草園1
クリック・5枚です。
<<大宮神社
non_nonさんのブログの小技からお借りしました。

百草園
天平年間に建立された松蓮寺が、鎌倉時代に焼けて廃寺になった後
江戸時代の享保年間(1716 年~)、小田原城主大久保候の室であった
寿昌院慈岳元長尼が、徳川家康の長男・信康追悼のため
当地に松連寺を再建し、それに伴って造られた庭園。
庭園の中心には、松蓮庵という茅葺の茶屋があり
その前にある、寿昌梅(ジュショウバイ)という大きな老木は
寿昌院自ら植樹したと伝えられている
春になると、約50種500本の梅が華やかに咲き競う。
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百草園入口
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non_nonさんのブログの小技からお借りしました。

芭蕉の句碑がいくつもあった。 百草園13 百草園14 百草園15
マウスオン・クリック、3枚です 
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所在地・・日野市百草 560
  1. 2012/12/15(土) 08:21:09|
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日の出桟橋~浅草へ

学芸会の代休の月曜日、孫息子の友達と三人で
ホタルナに乗って浅草へ行って来た。

ホタルナ
宇宙船をイメージした、シルバー・メタリックの流線形の船で
ボディに、ガルウィングの扉を継承し、
船体屋上には遊歩甲板を設置して、
船外で景観が楽しめるようになっている。
船後方部の窓ガラスは淡い光が放たれ、夕方から夜になると、
その光がまるでホタルのように隅田川を照らす。
デザインを手がけた松本零士氏が名づけたホタルナは、
月が輝く夜に神秘な輝きを放つ蛍が隅田川を舞う
ホタルとルナ(月の女神 )「ホタル月」という。
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御座船 安宅丸
寛永9年(1634)徳川家光が、向井将監に命じて新造した
軍艦形式の御座船で、別名を天下丸といい
天和2年(1682)に解体されるまで徳川幕府の
御座船として江戸防衛の要として任務に当たった。
御座船

隅田川から見た浜離宮
浜離宮

築地市場
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勝鬨橋をくぐり
勝鬨橋

蔵前橋をくぐって
蔵前橋
アサヒビール本社
隣接するスーパードライホールの上にある「炎のオブジェ」は
フィリップ・スタルクのデザイン
浅草1

吾妻橋で降りると
吾妻橋

今回は寒かったので、屋上には出れず
船内から窓越しの撮影となりました。

浅草
浅草3
駅前にある神谷バー、電気ブランが有名!
浅草2
雷門の近くには人力車(最近は女性の車夫(?)が増えてきた)
浅草4

    続きを読む
  1. 2012/12/13(木) 16:30:21|
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大江戸街歩き   駒場   

駒場野公園
この一帯は、かつて人の背ほどもある笹が一面に生え、
ところどころに松林がしげる広い原野で、駒場野と呼ばれていた。
明治になると、農業の近代化を図るため、
この広い原野を利用して駒場農学校が開校し、
近代農業の総合的教育・研究の場となった。
明治14年、この農学校にドイツ人ケルネル氏が
農芸化学の教師として着任し、
土壌や肥料の研究を行って大きな成果をあげた。
園内にある水田はこの実験を行った場所で、
農学発祥の地「ケルネル田んぼ」と呼ばれ、
稲作は筑波大学付属駒場中・高校の生徒によって
今でも行われている。
駒場農学校はその後、東京農林学校、東京帝国大学、
農科大学等を経て、東京教育大学農学部となり、
昭和53年に筑波へ移転した。
その移転跡地に造成されたのが駒場野公園。
駒場野1

駒場野2

駒場野3

駒場野4
所在地・・目黒区駒場 2-19-70                          

駒場駅


旧前田公爵邸
明治17年、華族令発布により前田家は侯爵の爵位を授与されて、
百万石大名の威信を保ったが、隣接して建てられた
東京帝国大学の敷地拡張のため、
本郷の地は、駒場の東京帝国大学農学部実習地4万坪と
交換され、加賀百万石大名の子孫の屋敷が、
目黒は駒場の地に出現した。
昭和4年から5年にかけて、前田家16代当主・前田利為侯爵は、
駒場の約1万坪の敷地に、地上3階地下1階建の洋館と、
これを渡り廊下で結んだ2階建て純日本風の和館とを
相次いで竣工させた。松・欅・公孫樹・白樫などが茂る
駒場野の林をそのまま生かした奥庭や芝生の広場。
使用人が100人以上いたという前田侯爵邸は、
当時東洋一の大邸宅と人々の目を見張らせたものだった。
戦後、昭和20年9月に連合軍により接収され、
昭和32年返された。
その後、東京都が建物と土地を買収し
東京都近代文学博物館、そして駒場公園と変わっていった。
前田邸3

前田邸4

前田邸2
所在地・・目黒区駒場 4-3-55 

  1. 2012/12/10(月) 11:35:33|
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大江戸街歩き   代沢

阿川家赤門
江戸時代にこの一帯の名主だった阿川家の門は美しい紅殻色に塗られている。
屋敷林の緑、そして紅葉のとき、門の色に照り映えても見事である。
門越しにのぞく母屋も昔の名主屋敷の遺構を残し、
代沢の町の歴史をとどめた静かな一角である。
阿川家1
門の前にある一本の木
阿川家3
と思ったら、実は二本
阿川家2
???根っこは一本だよね
阿川家4
葉っぱはこれ・・けやき?
阿川家5
所在地・・世田谷区代沢 3-9-16

町1

町2
  1. 2012/12/09(日) 09:22:21|
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大江戸街歩き   代沢

北沢八幡神社
540年前の文明年間(1469~87)世田谷北辺の守護神として
当時の世田谷城主吉良家の勧請により創建され、
七沢八社隋一正八幡宮と称された。
七沢とは北沢、上馬、引沢、野沢、奥澤、池澤のこと。
歴代地頭の尊信が厚く、早くから人々の尊崇の中心だった。
当時、北沢の民戸は80数軒だったという。
北沢八幡1

北沢八幡2

北沢八幡3

北沢八幡4

北沢八幡5
所在地・・世田谷区代沢 3-25-3
  1. 2012/12/08(土) 10:10:15|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   代沢   

森厳寺
慶長13年(1608)に、徳川家康の次男・結城秀康の位牌所として建立。
淡島の灸の森厳寺として世田谷百景の一つ。
森厳寺1
本  堂
森厳寺3
淡島堂
森厳寺2
不動堂・閻魔堂
森厳寺4
弁財天
森厳寺5

森厳寺8
マウスオン2枚です 
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森厳寺10 森厳寺11

樹齢400年の大イチョウ
マウスオン2枚です 
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森厳寺の門前にある、料亭みたいなお蕎麦屋さん
森厳寺14
所在地・・世田谷区代沢 3-27-1
  1. 2012/12/06(木) 08:44:25|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   下北沢

北沢庚申塚
北沢三丁目の交差点にありました。
マウスオン2枚です 
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本多劇場
本多劇場グループ代表の本多一夫によって、
昭和57年(1982)11月3日に開場。
こけら落としは、唐十郎作の『秘密の花園』
下北沢が「演劇の街」と呼ばれるのは、この劇場の存在が大きい。
本多劇場は当初から演劇専用劇場として設計されている。
本多グループ最大規模の劇場で、舞台・観客設備など最も充実している。
東京の小劇場演劇の中心的存在であり、
夢の遊眠社や第三舞台なども上演していた。
劇場の地下駐車場には平成17年(2005)、
かつて青山ユアーズに設置されていた
有名人の手形やサインなどを入れた石版を展示するスペース
「『星々の手形』」が作られた。
本多劇場
所在地・・世田谷区北沢 2-10-15                        

ザ・スズナリ
小劇場演劇専用の劇場で、当初は「演劇表現を志す若者に
活動の機会を提供したい」という本多一夫の意志により、
自宅に近いアパート「すずなり荘」の2階を改築して
自身が主催する俳優養成所「本多スタジオ」の稽古場とした。
昭和56年(1981)3月に、ここで上演された、
同養成所卒業公演「黄昏のボードビル」を機に
再度改装され、本格的に劇場として使用された。
当時建設中だった本多劇場に先駆けた、
後の本多劇場グループ系列の最初の劇場であり、
下北沢が「演劇の街」と呼ばれる起源となった
歴史的な小劇場である。客席数は230。
建物は下北沢の中心街からやや外れた茶沢通りに面して
高度成長期の風情が漂う印象的な外観である。
劇場の一階部分は飲食店街「すずなり横丁」。
かつては同じ建物内に自主製作映画を上映する
カフェシアター「鈴なり壱番館」があった。
マウスオン2枚です 
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所在地・・世田谷区北沢 1-45-15                            

劇場・グルメ・ファッション・・人が集まる下北沢
下北沢1

若者が住みたい町NO1といわれる下北沢にも
こんなシャッター商店街がある。
戦後は近隣の衣・食を賄っていただろうが
時代の流れには逆らえない。
いずれは再開発されて生まれ変わるのだろうが・・・
下北沢3
下北沢4
下北沢5

  1. 2012/12/05(水) 11:24:47|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   代田

円乗寺
天正18年(1590)に主家の没落によって帰農した
旧吉良家家臣の代田七人衆の手で、寛永2年(1625)に建てられ
村の人々が菩提寺として維持してきたが
幾度かの火災によって、焼失し、現在の本堂は
昭和29年に、台東区にあった旧秋田藩主・佐竹氏の菩提寺・総泉寺の
本堂を移し、建て直した。
マウスオン2枚です 
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この木、枯れ木?  でも倒れないで・・・
マウスオン2枚です 
まるで、象の顔でしょう? 牙もある。。
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所在地・・世田谷区代田 2-17-3 

北沢川緑地
桜並木や四季折々の草花が楽しめる。
新宿・渋谷に近いという利便性、丘と谷と川があり
武蔵野の面影が残るこの一帯には、近代日本文学を担う
多くの文士たちが住んでいて萩原朔太郎、加藤愁頓。森茉莉などの
作家、詩人、歌人、俳人たちが、普段着で散策していた。
今ではすっかり暗渠になってしまったが
この辺りからは、せせらぎが作られ、四季折々の
花が咲き、素敵な散歩道になっている。
北沢川1
あめんぼうやザリガニもいた。
北沢川2
北沢川3
北沢川4
北沢川5
  1. 2012/12/04(火) 09:32:42|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   代田

午前10時の 環七
代田八幡1

環七沿いにある 代田八幡神社
天正19年(1591) 吉良氏の家人7家が
宇佐八幡宮から勧請して祀ったのが創祀。
その後代田の発展に伴い天和元年(1681)
ほぼ現在地に本格的社殿が建立され、
代田地区の産土神として崇敬されている。
昭和20年の戦災で全焼したが、
昭和33年(1958)に再建された。
一月第3日曜日に行われる「三土代会の餅つき」は、
江戸時代天保年間から代田地区に伝わる昔ながらの独自の餅つきで、
古来より伝わる餅つき唄で調子をとる「コネドリ」、
6人または8人での「カケ搗き」、手を休めることなく
搗き手を替える「アゲ搗き」
圧巻は8人の搗き手が臼を取り囲むようにして威勢よく
一気に餅を搗く「八人搗き」が華やかで独特。
代田八幡2
マウスオン2枚です 
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代田八幡6
 
注連縄が張られたご神木・大公孫樹
代田八幡7
マウスオン2枚です 
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マウスオン2枚です 
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所在地・・世田谷区代田 3-57-1     
  1. 2012/12/03(月) 16:55:50|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   代田

羽根木公園
羽根木1

羽根木2
梅  園
羽根木5
マウスオン2枚です 
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羽根木6

プレイパーク
マウスオン・クリック、3枚です 
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所在地・・世田谷区代田 4-38-52 
  1. 2012/12/02(日) 17:16:13|
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