すたのピンコロ日記

旅をして、美味しいものを食べて、毎日を楽しく!

大江戸街歩き   世田谷区・世田谷

ボロ市
ボロ市

世田谷代官屋敷                      
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世田谷代官所2
世田谷代官所4

白  洲
世田谷代官所5
世田谷代官所6
今は使われていない井戸
世田谷代官所9
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所在地・・世田谷区世田谷 1-29-18  続きを読む
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  1. 2013/02/27(水) 10:35:33|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   世田谷・豪徳寺

世田谷城址公園
世田谷城跡1
世田谷城跡2
世田谷城跡3
所在地・・世田谷区豪徳寺 2-14-1                          

勝光寺
勝光院1
勝光院2
勝光院3
勝光院4
勝光院5

勝光院6
勝光院7

  1. 2013/02/25(月) 09:49:06|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   世田谷・豪徳寺

豪徳寺
この寺付近は中世の武蔵吉良氏が居館とし
天正18年(1590)の小田原征伐で廃城となった
世田谷城の主要部だったとされる。
文明12年(1480)世田谷城主・吉良政忠が
伯母の弘徳院のために庵結んだ。
寛永10年(1633)彦根藩主・井伊直孝が
菩提寺として伽藍を創建整備した。
豪徳寺1

山  門
豪徳寺2
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仏  殿
豪徳寺18

豪徳寺4

鐘  楼
豪徳寺5

招猫観音
江戸時代に井伊直孝が鷹狩の帰りに、この前を通りかかった。
その時、和尚の飼い猫が門前で手招きするような
仕草をしていたので、立ち寄り休憩した。
すると豪雨が降り始め、濡れずにすんだ直孝は喜んで、
後日、荒れていた寺を建て直すために多額の寄進をした。
和尚は猫が死んだあと、墓を建て弔った。
後世、境内に招猫堂が建てられ、猫が片手を挙げている
姿を模った招福猫児(マネギネコ)が作られるようになった。
この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺になった。
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三重塔
豪徳寺11
三重塔のあちこちに招猫が隠れている。
クリック・3枚です。

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二代・井伊直孝の墓
豪徳寺15
井伊直弼の墓
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所在地・・世田谷区豪徳寺 2-24-7  
  1. 2013/02/23(土) 09:21:46|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   世田谷・宮坂

世田谷八幡神社
寛治5年(1091)後三年の役(1083~87)の帰途
源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い
天候の回復を待つために滞在することになり
この度の戦勝は、日頃氏神としている八幡大神の
ご加護に依るものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の
御分霊を勧請し祀った。後に世田谷城七代目の吉良頼康が、
天文15年(1546)社殿を再興した。
昔は奉納相撲の勝敗によって来年の豊作・凶作を占ったり
今年の豊作に感謝したため、境内には土俵や力石がある。
今でも、秋の例祭には、東京農業大学相撲部による
奉納相撲が行われている。
世田谷八幡1
世田谷八幡2
世田谷八幡3

世田谷八幡4
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マウスオン2枚です 
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所在地・・世田谷区宮坂 1-26-3 
  1. 2013/02/21(木) 08:27:54|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   世田谷・太子堂

林芙美子旧居跡
林芙美子1
林芙美子2

最勝寺(青目不動)
明治8年(1875)当時青山にあった境内の一部に「幼童学校」を創立。
これが後の青山南町小学校となった。
最勝寺1
最勝寺2
最勝寺3
最勝寺4
最勝寺5
所在地・・世田谷区太子堂 4-15-1   
  1. 2013/02/20(水) 19:00:13|
  2. 東  京
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大江戸街歩き  世田谷・三軒茶屋

円泉寺 
賢恵僧都が大和国久米寺から聖徳太子像と
十一面観世音を背負って関東に下向し、
文禄5年(1596)当地に円泉寺を創建した。
太子堂は、境内の中央にあり、約2間半四方で、
長押に長谷の僧正動潮の「太子堂」の扁額がある。
聖徳太子の像は約1尺1寸で弘仁9年(818)春、
大疫病流行の時、疾疫の消除と国民擁護のため、
弘法大師が精魂こめて作られたものと伝えられ、
難症難治の病を癒す諸顧成就の尊像と崇められ
この堂が出来てから土地は繁栄し、
太子堂の号をとって太子堂村というようになった。
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本 堂
円泉寺5
太子堂
円泉寺6
可愛い地蔵さま
円泉寺7

円泉寺8円泉寺9
所在地・・世田谷区太子堂 3-30-8 

  1. 2013/02/19(火) 10:57:42|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   世田谷・三軒茶屋

三軒茶屋
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三茶8

キャロットタワー
にんじん色の26階建てのビル
展望フロアは夜景の名所
三茶3
三茶7
世田谷通り
三茶4
大山道標 
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所在地・・東急世田谷線三軒茶屋駅の前

太子橋                                      
三茶10
格闘家・魔裟斗のビル
三茶9
道祖神
三茶11
三茶12

  1. 2013/02/18(月) 09:58:15|
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皇  居


普段入れない皇居の一般参観に行ってきました。

江戸時代に徳川歴代将軍が居城としていた所。
明治維新後、明治天皇は千数百年にわたって
住んでいた京都から移られた。
第二次世界大戦後に、宮城の名称が廃止され
東京の江戸城跡一帯を指して皇居と呼んでいる。
天皇の住居である「御所」、各種公的行事や
政務の場である「宮殿」「宮内庁庁舎」などがある。
面積は約115万平方㍍で、濠で囲まれていて
周囲に8つの門がある


桔梗門から入って、
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窓明館(休所)
桔梗門を入ると一般参賀や勤労奉仕団の人たちの休息所がある。
窓明館(休所)

窓明館の前にある元枢密院庁舎
国会議事堂のモデルになったといわれる
元枢密院庁舎

富士見櫓
江戸城の遺構としては最も古いものに属する三重櫓で
万治2年(1659)の再建、石垣の高さ約14.5㍍
櫓の高さ約15.5㍍
富士見櫓1

宮内庁庁舎
昭和10年(1935)に建築された。
戦後、昭和27年10月から、昭和44年3月まで
三階を仮宮殿として使用していた。
宮内庁庁舎

塔の坂
十月桜が咲いていた
塔の坂

宮  殿
現在の宮殿は、昭和20年(1945)に焼失した明治宮殿に代わり
昭和43年(1968)に完成した鉄骨鉄筋コンクリート造りで
儀式・行事が行われる正殿、豊明殿、長和殿及び天皇陛下が
公務をされる表御座所等で構成されている。
新内閣が組閣した時に、この階段で記念写真を撮る
<長和殿<松葉の塔と東庭<ここで新年及び天皇誕生日の一般参賀が行われる。<車寄せ<塀の奥は南庭>



二重橋に至る 中門
中門1

正門鉄橋 (二重橋)
鉄門1
鉄橋から見る正門石橋
石門1

伏見櫓
三代将軍・家光の頃、京都・伏見城から移築された。
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ここから先には行けません。
中門をくぐり、長和殿東庭を通って
山下通りを下り、桔梗門に戻ります。
山下通り

桔梗門6
所在地・・千代田区千代田1番1号
  1. 2013/02/16(土) 09:00:52|
  2. 東  京
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与勇輝(アタエユウキ)の世界

小樽で出会った森の妖精「ニングル」
脚本家・倉本聡のフォトストーリー
北海道の山に人知れず住むという伝説の「小さい人」
見ているだけで癒されます

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このニングルは子どものように見えますが大人です。
酔っ払って壺をかかえて寝入っているニングルです。
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枠は時々きまぐれさんに教えていただき
ソースはnon_nonさんのブログの小技からお借りしました。
  1. 2013/02/14(木) 08:55:37|
  2. 未分類
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奥の細道・番外編21   伊賀上野

愛染院
遍光山願成寺という寺で、松尾家の菩提寺である。
芭蕉の遺骸は「木曽義仲公の側に葬って欲しい」
という遺言に従って、没した夜に去来、其角などの弟子たちが
亡骸を川舟に乗せ、淀川を上って翌日に義仲寺に到着。
14日夜に門弟80人が見守る中、義仲の墓の隣に埋葬されたが
遺髪は伊賀上野の門弟・服部土芳と貝増卓袋が持ち帰り、
松尾家の墓所に納め、後に「故郷塚」が築かれた。

マウスオン・クリック、3枚です
山門→本堂→故郷塚 
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芭蕉 句碑  家はみな 杖に白髪の 墓参り 
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野風呂 句碑 一すぢ乃俳系守里て翁之忌    
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所在地・・三重県伊賀市上野農人町 354

今回で二年半にわたる奥の細道、そして番外編はすべて終わります。
長い間、お付き合いいただいて有難うございました。

  1. 2013/02/12(火) 10:55:22|
  2. 奥の細道
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奥の細道・番外編 ⑳   大阪

南御堂・難波別院
文禄4年(1595)本願寺12代・教如上人が大谷本願寺として建立
慶長3年(1598)に現在地に移された。
戦災に遭った本堂は、昭和36年(1961)年に再建された。
元禄7年(1694)芭蕉はこの地で51歳の生涯を閉じた。
前の御堂筋には「此附近芭蕉翁終焉ノ地ト伝フ」という
石柱が立てられている。
大阪市内の中心を南北に入る御堂筋の名は、
南御堂と北御堂を繋ぐ道であることに由来する。
毎年11月には「大阪の芭蕉忌~法要と句会」が開かれ
多くの参加者が足を運んでいる。

これが山門 ∑o(*'o'*)o エェ~!! (御堂会館)
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本  堂
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もう一つ梵鐘があった
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芭蕉の句碑     旅に病んで ゆめは枯野を かけまはる
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御堂会館の壁の高いところに額がある。
芭蕉の夢1
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所在地・・大阪市中央区久太郎町 4-1-11
  1. 2013/02/10(日) 09:07:17|
  2. 奥の細道
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奥の細道・番外編 ⑲   大阪

一心寺
文治元年(1185)法然上人が草庵を結んだことに始まる。
のちに「源空庵」と呼ばれたこの草庵が一心寺の発祥。
『納骨と施餓鬼の寺』
人骨で造ったお骨佛が奉安してある。
130年前、江戸時代末期の嘉永年間に発願され
明治20年に第1体が開眼された。
以来10年毎に1体造立される。
昭和20年に空襲で焼失し
昭和23年に、戦後1体目が開眼した。
以後10年毎に造立、現在7体が祀られている。

仁王門
平成9年に完成した開かれた寺を象徴する山門。
極楽浄土の天空にかかるヴェールをガラスの屋根で
聖なるターラ樹の並木を鉄骨トラス、
七重の石垣を黒御影石の基壇でそれぞれ表現。
素手で裸形の阿形・吽形の大仁王像が立っている。
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門扉には、文化勲章受章の秋野不矩の原画を元にした
天女がレリーフされている。
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大本堂
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開山堂
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元祖廟
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念仏堂
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 所在地・・大阪市天王寺区逢阪 2-8-69
  1. 2013/02/09(土) 09:29:23|
  2. 奥の細道
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奥の細道・番外編 ⑱   大阪

安居神社
大阪夏の陣で、真田幸村が近くにある天王寺茶臼山に陣をしき
徳川家康と対峙したが、家康の首を取るに至らず
ついにこの境内で戦死したと伝えられる。
浪花名所絵図や浪花百景には花見の光景が描かれており
古くから景勝地として愛されていた。

マウスオンして下さい。


クリック・3枚です。
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マウスオン2枚です
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癇鎮めの井
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所在地・・大阪市天王寺区逢坂 1-3-24
  1. 2013/02/08(金) 09:28:11|
  2. 奥の細道
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奥の細道・番外編 ⑰   大阪

大江神社
ここ一帯は「夕陽ヶ丘」と呼ばれており、
その昔この台地のすぐそばまで海がせまり
西の海に夕陽が沈みゆき、茜色に染まる空が美しかったという
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芭蕉の句碑
あかあかと 日はつれなくも 秋の風
所在地・・大阪市天王寺区夕陽丘町 5-40


マウスオン→クリックで戻る
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  1. 2013/02/07(木) 09:27:08|
  2. 奥の細道
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奥の細道・番外編 ⑯   大阪

神社の前の歴史街道
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生国魂(イククニタマ)神社
地元では「いくたまさん(生玉さん)」と呼ばれる。
神武東征の際、難波津に上陸した神武天皇が、
国土の神である生島神・足島神を現在の大阪城付近に
祀ったのに始まる、その後、相殿神として大物主大神を祀った。
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本殿の建物は他に類を見ない特殊な様式で
本殿・幣殿の屋根が一つの流造り
千鳥破風、すがり唐破風、の三破風を構えた「生国魂造」と呼ばれ
豪壮な桃山文化の遺構を伝えたものとされている。
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天満宮
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芸能上達の神  浄瑠璃神社
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建築の守護神  家造祖(ヤヅクリミオヤ)神社
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金物・カマドの守護神  鞴(フイゴ)神社
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万除・厄除・勝運の神  城方向(キタムキ)八幡宮
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縁結び・悪縁切り・女性守護の神  鴫野神社
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商売繁盛・五穀豊穣・歯痛封じの  源九郎稲荷神社
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商売繁盛・五穀豊穣・除災招運福の  稲荷神社
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商売繁盛・水産業繁栄・太公望の  精鎮社
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上方落語発祥の地  米澤彦八の碑
初代・米沢彦八は、江戸時代中期の上方の落語家。
生玉神社(現在の生國魂神社)境内の小屋に大道芸人が
技を競いあい大いに賑っていた。
その中で、彦八は人の足を止めて注目させるため、
当世仕方物真似(シタカモノマネ)の看板を出して興行した。
落ちに重点をおいた新鮮な咄が多い。
近松門左衛門の『曽根崎心中』で、お初を生玉に連れ出した
田舎者が一人で見に行くのも彼の物真似であった。
上方落語の原型になったといわれ、初代・露の五郎兵衛、
鹿野武左衛門らと共に、
上方落語の始祖や落語家(落語)の祖と呼ばれる。
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所在地・大阪市天王寺区生玉町 13-9

  1. 2013/02/05(火) 16:50:03|
  2. 奥の細道
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奥の細道・番外編 ⑯   大阪

大阪天満宮
京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに
天神信仰を代表する天満宮。
創建は寝大化元年(645)
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芭蕉の句碑
行年や 薬に見たき 梅の花
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もう一句  楳咲て よろこぶ鳥の 気色かな
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もう一句あるというので、探したが見つからなかった・・・ (_πдπ)
  1. 2013/02/04(月) 09:24:47|
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奥の細道・番外編 ⑮   大阪

太融寺
弘仁12年(821)弘法大師が嵯峨天皇の勅願により創建された。
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Sakuraさんのソースをお借りしました

元禄7年(1694)に斬波園女亭で行われた句会での発句
白菊の 目に立て見る 塵もなしの芭蕉の句碑
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豊臣秀吉の側室で、大阪城落城によって
秀頼と共に自刃した淀殿の墓
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 所在地・・大阪市北区太融寺町 3-7
  1. 2013/02/03(日) 11:03:39|
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奥の細道・番外編 ⑬   嵯峨野

落柿舎
芭蕉のもっとも信頼を受けていた弟子・向井去来の
別荘として使用されていた草庵。
周囲には40本の柿の木があったといわれ、
庭の柿を売る約束をしたのちに
柿がすべて台風で落ちてしまったため、
この様子を見た去来は「落柿舎」と名づけた。
元禄4年(1691)に芭蕉がこの草庵に滞在し、
「嵯峨日記」を記したといわれる。
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   囲炉裏のある土間と室内にある井戸
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芭蕉の句碑  五月雨や 色紙へぎたる 壁の跡  
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所在地・・京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20
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  1. 2013/02/01(金) 11:12:57|
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