すたのピンコロ日記

旅をして、美味しいものを食べて、毎日を楽しく!

山陰道・兵庫 篠山

篠山城跡
天下を盤石なものにしようとする徳川家康が
慶長14年(1609)豊臣方の拠点である
大阪城を包囲するとともに豊臣家ゆかりの
西日本の諸大名を牽制するために
山陰道の要衝であるこの笹山に城を築いた。
築城工事は旧豊臣大名の経済力を弱めることを
目的に天下普請とされ、山陰道、山陽道
南海道(近畿・中国・四国)などの15カ国
20大名が動員され、山全体が岩盤で出きている
難工事にも関わらず、一年にも満たない短期間で完成された。
篠山1

篠山2

篠山3

大書院跡
二の丸に所在した城主の居館の中で
特に歴代藩主による公式行事に使用された。
慶長14年(1609)築城の時に、
京都二条城の御殿を参考にして建てられた。
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篠山9

岩盤を掘りぬいて造った井戸があちこちにある。
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篠山10
篠山12
篠山11
篠山4

篠山15

天守台跡
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青山神社
篠山17

篠山20
所在地・・兵庫県篠山市北新町 
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  1. 2013/11/30(土) 22:06:12|
  2. 街道巡り
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山陰道・京都 南丹市

生身天満宮
全国に1万2千社の天満宮があるが
菅原道真生存中に建てられた
全国最初にして最古の天満宮
承応2年(1653)に小麦山から
現在地に移転した。歴代園部藩主の
崇敬も篤く、祈願所として御供田・山林をはじめ
多くの神器、神宝が寄進された。
生身1

生身2

生身8 生身9

生身3

生身4

生身5

生身6 生身7

本 殿
生身12

生身15 生身17

生身15-1 生身16-1
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使い牛
生身18

生身19

能楽堂
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所在地・・京都府南丹市園部町美園町 1-67   
  1. 2013/11/28(木) 10:16:09|
  2. 街道巡り
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山陰道・京都 南丹市

園部城跡(巽門)
初代園部藩主・小出吉親が、但馬出石より転封した
元和5年(1619)に築城した日本の城郭史で最後の建築物。
当初は陣屋として築城されたが
幕末から明治にかけて櫓や城門などの整備を行った。
現在は京都府立園部高校・付属中学校になっている。
園部1
園部3
園部4
園部5
所在地・・京都府南丹市園部町小桜町
            
  1. 2013/11/26(火) 10:39:26|
  2. 街道巡り
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紅葉

紅 葉
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non_nonさんのブログの小技からお借りしました。

今回はコメント欄を閉じさせていただきます。
  1. 2013/11/24(日) 09:09:44|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   赤坂

転 坂
江戸時代から道が悪く、通行する人たちが
よく転んだ事からついた。
転坂


勝 安房邸跡
江戸時代(1615~)初めには南部家の屋敷があり、
明暦2年(1656)の相対替えにより、浅野家の屋敷となった。
元禄時代(1688~)には、赤穂藩浅野長矩の代になっていた。
時は流れ、明治の初めには大身旗本の柴田七九郎の屋敷があった。
その約2500坪の屋敷を勝海舟が5百両で購入し
明治32年に亡くなるまで住んでいた。
昭和2年から平成5年春まで氷川小学校となり
現在は特別養護老人ホーム「サン・サン赤坂」となっている。
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所在地・・港区赤坂 6-6-14

南部坂
江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい、
忠臣蔵で有名である。
のち険しいため難歩坂とも書いた。
クリック・4枚です。
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non_nonさんのブログの小技からお借りしました。                     
  1. 2013/11/22(金) 09:10:14|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   赤坂

勝海舟邸跡
勝海舟が安政6年(1859)から明治元年(1868)まで住んだ旧跡。
文久2年(1862)11月、海舟を刺殺しようとして訪れた
旧土佐藩士坂本龍馬らに世界情勢を説いて決意を変えさせ、
逆に熱心な門下生に育てて、明治維新への流れに
重要な転機を与えることになったのもこの場所。
勝邸
所在地・・港区赤坂6-10-39

本氷川坂
坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。
  社は明治十六年四月、氷川神社に合祀された。
元氷川坂とも書いた。
クリック・5枚です。
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non_nonさんのブログの小技からお借りしました。

赤坂氷川神社
赤坂氷川神社1

赤坂氷川神社2

赤坂氷川神社3

赤坂氷川神社4 赤坂氷川神社5

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赤坂氷川神社8

マウスオン・クリック、3枚です 
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所在地・・港区赤坂6-10-39
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  1. 2013/11/20(水) 09:52:56|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   赤坂

薬研坂
中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に
似ているために名づけられた。
付近住民の名で何右衛門坂とも呼んだ。
マウスオン2枚です 
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三分坂
急坂のため通る車賃を銀三分(百円余)
増したためという。
坂下の渡し賃一分に対していったとの説もある。
三分坂

報土寺
慶長19年(1614)に、赤坂一ッ木(現赤坂二丁目)に創建
幕府の用地取り上げにより、安永9年(1780)に
三分坂下の現在地に移転してきた。
報土1

報土2

この築地塀はこのころに造られたもの。
三分坂に沿って少しカーブを描くように曲がっている練塀。
長さは短いが坂道に風情をそえている。
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雲州藩松平家の菩提寺で、その抱え力士だった雷電は
住職と仲が良く、よくここに来ていたという。
文化8年(1811) 2月11日、塀のみを残して寺は全焼した。
3年後、再建の時に雷電は梵鐘を寄進した。
竜頭の部分は雷電と小野川が四つに組んだ姿、
側面に雷電の姿を鋳出し、その臍に撞木があたる
ようにしたり、鐘の下縁は十六俵の土俵をめぐらすなど
極めて異形であったため、寺社奉行によって直ちに没収さた。
現在の鐘は、明治41(1908)に鋳造されたもので、
雷電の鐘に刻まれていた銘と同文のものを刻んでいる。
報土3

報土6
報土7
所在地・・港区赤坂 7-6-20
続きを読む
  1. 2013/11/18(月) 10:48:58|
  2. 東  京
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大江戸街歩き  赤坂

円通寺坂
元禄8年(1695)に付近から坂上南側に
移転した寺院の名称をとった。
円通寺坂

  円通寺
円通寺
円通寺 時の鐘
円通寺1

稲荷坂
坂下北側に苑通院があり、
その境内の稲荷への門があったための坂名。
坂上に江戸城中清掃役の町があり掃除坂ともいう。
マウスオン2枚です 
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新 坂
できた当時は新しい坂の意味だった。
開かれたのは古く元禄12年(1699)
しんさかと発音する。
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高橋是清公園
第20代総理大臣・高橋是清の邸宅跡
昭和13年、東京市に寄与された。
クリック・4枚です。
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non_nonさんのブログの小技からお借りしました。

是清5
所在地・・港区赤坂 7-3-39
  1. 2013/11/16(土) 09:47:32|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   赤坂

浄土寺
文亀3年、明蓮社教誉聖光によって開山。
初め平河口(皇居の側)にあったが、のちに麹町平河町に移り、
慶長年間現在地に移転。
昭和20年全焼したが貫達によって現堂宇を完成。
なお地蔵尊は霊験あらたかで多数の参詣者がある。

山 門
丹後4
本 堂
丹後5

RIMG0113.jpg
丹後6

石造閻魔王坐像
江戸時代正月、七月の十六日には閻魔参りの人で賑わった
丹後8
所在地・・港区赤坂 4-3-5


鈴振稲荷神社                    
本能寺の変に際して家康が大阪から三河へ逃れる途中
伊賀山中で道に迷った時、遥かに鈴の音が聞こえた。
その方向に辿り着くと観音堂があり、堂主・山名孝倫が
厨子に納められていた三箇の鈴を献じ、
付近の住民を集めて道案内と警護をしつつ
伊賀の白子に出て、無事浜松に戻れた。
この事に恩義を感じた家康は、江戸開府後
伊賀の領民を四谷に住まわせて
伊賀町(伊賀組)の鎮守社として創建した。
元禄8年、社地が御用地となり当地へ遷座、
大正14年に赤坂氷川神社境内の四合稲荷神社へ合祀された。
マウスオン・クリック、3枚です 
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所在地・・港区赤坂 5-1 

 
  1. 2013/11/14(木) 09:37:00|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   赤坂

牛鳴坂
赤坂から青山へ抜ける厚木通で、
路面が悪く車をひく牛が苦しんだため名づけられた。
さいかち坂ともいう。
マウスオン2枚です 
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赤坂不動尊
伝教大師が唐より帰国の途中、暴風雨で船が沈みそうになり
海に沈めて祈願した御自作の不動明王を
天安2年(858)越後出雲崎の漁師が拾い上げ、
祀ったことにより始まる。
慶長5年(1600)住僧良台が赤坂一ツ木へ移転し開山、
江戸時代には紀州徳川家の祈願寺となっていた。
赤坂不動1

赤坂不動2

赤坂不動3
所在地・・港区赤坂 4-1-10 


丹後坂
元禄(1688~)初年に開かれたと推定される坂。
その当時、東北側に米倉丹後守
(西尾丹後守ともいう)の邸があった。
今は階段になっているが、これが坂だった・・
マウスオン2枚です 
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勝海舟が若い頃通っていた飲み屋
丹後3

今回はコメント欄を閉じさせていただきます。
  1. 2013/11/12(火) 09:28:26|
  2. 東  京
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大江戸街歩き   赤坂

豊川稲荷東京別院
愛知県豊川市にある豊川稲荷 妙厳寺の
唯一の直轄別院(飛び地境内)
大岡越前守忠相が豊川稲荷から吒枳尼天(ダキニテン)を勧請し、
屋敷稲荷として自邸で祀ったのが始まり。
江戸では稲荷信仰が盛んであったため、
大岡邸では毎月「午の日」と22日には門を開けて、
一般庶民の稲荷への参拝を許していたという。

山 門
豊川稲荷1

本 堂
豊川稲荷2
マウスオン2枚です 
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豊川稲荷5 豊川稲荷6

奥ノ院
マウスオン2枚です 
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霊狐塚
豊川稲荷9

七福神
豊川稲荷10 豊川稲荷12

豊川稲荷11

豊川稲荷13 豊川稲荷14

豊川稲荷15
所在地・・港区元赤坂 1-4-7

豊川稲荷の隣は赤坂御所
赤坂御所

信号を渡ると虎屋本店がある。
虎や
 
  1. 2013/11/10(日) 09:26:22|
  2. 東  京
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  4. | コメント:5

大江戸街歩き   赤坂

紀伊国坂
旧赤坂離宮の外囲堀端を喰違見附まで上る坂。
赤坂、茜坂などとも呼ばれる
江戸時代に坂の西側に紀州藩上屋敷があったことから付けられた。
別名の赤坂・茜坂は、茜草が生える赤根山(迎賓館付近の高台)に
登る坂であることから名付けられ、
付近の赤坂という地名の由来になっている。
紀伊国坂1紀伊国坂2

弾正坂(ダンジョウザカ)
西側に吉井藩松平氏の屋敷があり、
代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが
多かったため名づけられた。
弾正坂1

九郎九坂(クログザカ)
江戸時代の一ツ木町の名主、
秋元八郎左衛門の先祖九郎九が
住んでいたことから名付けられた。
付近に鉄砲練習場があったので鉄砲坂ともいった。
九郎坂1
  1. 2013/11/08(金) 09:16:47|
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大江戸街歩き 赤坂   

赤坂見附跡
赤坂見附3
赤坂見附2

諏訪坂
もと諏訪氏の邸宅あったからだという。
また、別の名を達磨坂ともいわれているが、
旧宮邸が紀州藩であり、その表門の柱にダルマににた木目が
あったため達磨門とよばれ、その門前を達磨門前、
坂の名も達磨坂と呼んだそうだ。
諏訪坂1

清水谷

清水谷公園
明治23年3月に開園。
辺り一帯は、江戸時代の紀伊家、井伊家の屋敷境にあり 、
この境が谷であったことと、 紀伊家屋敷内に霊水(清水)が
湧き出ていたことから 清水谷と呼ばれていた。
開園当時は自然の地形を残した背景と、
藤、桜など四季折々の風情があり花見の時期は賑わった。
現在でも大都会東京の中心部にある緑豊かな貴重なオアシス。
マウスオン2枚です 
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清水谷6
清水谷5
所在地・・千代田区紀尾井町2-1

弁慶橋
江戸城外堀の弁慶堀にかかる橋。
掘割工事を請負った弁慶小左衛門の名に由来する。
堀の対岸は、彦根藩井伊家の屋敷跡地で、
橋を挟んでホテルニューオータニと
赤坂プリンスホテルが建っている。
マウスオンして下さい。

弁慶橋2
                          
  1. 2013/11/06(水) 09:16:24|
  2. 東  京
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山陰道・京都

グンゼ綾部本社(登記上の本店)
創業者の波多野鶴吉が、明治29年(1896)に
蚕糸業の振興を目的に郡是製絲株式會社として設立。

社名の由来
=京都府何鹿郡(今の綾部市)
=方針、進むべき道
ぐんぜ9
マウスオン2枚です 
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敷地の中には
ぐんぜ10
テニスコートや
ぐんぜ11
体育館などがあった
ぐんぜ17

ぐんぜ18

ぐんぜ19

道路を挟んで左右に洋館や白壁の建物が並んでいる。
ぐんぜ

ぐんぜ1

ぐんぜ2

ぐんぜ3

ぐんぜ4

グンゼ記念館
大正6年に新築され、本社事務所として使われていたが
昭和25年に記念館になった。
ぐんぜ12
マウスオン2枚です 
この繭玉一つで生糸が1.5km  ぐんぜ24

ぐんぜ5

グンゼ博物館
ぐんぜ6

建ち並ぶ社宅
ぐんぜ20
社宅に至る道は私道
ぐんぜ7

現在では、プラスチック製品や電子部品の製造、
メカトロニクス、メディカルなどの分野にも進出している。
所在地・・京都府綾部市青野町膳所 1  
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  1. 2013/11/04(月) 10:26:02|
  2. 街道巡り
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山陰道・京都

田辺城跡  別名、舞鶴城(ブガクジョウ)
天正8年(1580)丹後の国は細川藤孝・忠興親子の領国となった。
細川氏は現在の伊佐津川と高野川に囲まれた
平野部に田辺城を築き、以降細川・京極・牧野氏の居城として
約290年間、領内統治の中心的存在だったが
明治6年(1873)、廃城とされた。
舞鶴(マイヅル)の地名は、田辺城の雅称「舞鶴(ブガク)城」に由来。
鎌倉・室町幕府の八田守護所(丹後守護所)の後身ともされる。

マウスオン・クリック、3枚です 
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二層櫓
田辺城5

天守閣跡
マウスオン2枚です 
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元城内に建てられた小学校の塀に御成門が残されている。
マウスオン・クリック、3枚です 
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所在地・・京都府舞鶴市南田辺 15-22  



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  1. 2013/11/02(土) 10:10:23|
  2. 街道巡り
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