すたのピンコロ日記

旅をして、美味しいものを食べて、毎日を楽しく!

高野山

高野山 奥ノ院

弘法大師の御廟と灯籠堂がある(世界遺産)。
奥の院まで続く参道は樹齢数百年を越える杉木立が続き、
数多くの歴史にゆかりのある人物の墓石や供養搭、祈念碑、慰霊碑
皇室、公家、大名などの墓が多数並び、
その総数は20万基以上はあると言われている。
奥ノ院1

奥ノ院2

奥ノ院3


色々な企業・業界の供養塔が建ち並ぶ
飛行機関係

しろあり

韓国

ヤクルト

奥ノ院8

写真業界

こんな珍しいのも
クリック・4枚です。
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北斗さんのソースをお借りしました

戦国大名の6割以上の墓所がある。
奥ノ院15

奥ノ院17

奥ノ院18

奥ノ院21

奥ノ院22

奥ノ院23

芭蕉の句碑「父母の しきりに恋し 雉子の声」
奥ノ院24

奥ノ院26

奥ノ院27

奥ノ院29

松平秀康(右)とその母(左)
奥ノ院30

奥ノ院32

奥ノ院33

奥ノ院35


奥ノ院39
マウスオン2枚です
体半分のお地蔵さまは、戦時中下半身を供出したそうです。
 

奥ノ院42
川の中に卒塔婆がいっぱい・・
奥ノ院38

弘法大師御廟に続く 御廟橋。
この奥に弘法大師の霊を祀る大師御廟があるが
御廟は大師信仰の中心聖地でここから先は聖域とされ、
写真撮影、飲食、喫煙も禁止。
奥ノ院37
所在地・・和歌山県伊都郡高野町高野山
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  1. 2014/05/30(金) 10:15:20|
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高野山

いよいよ、大伽藍へ・・・

マウスオンして下さい。

六時の鐘

大伽藍
大伽藍入口

東塔
東塔

三昧堂
三昧堂

大会堂
大法会堂

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マウスオンして下さい。

根本大塔

御影堂    マウスオン2枚です 
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三鈷の松
マウスオン2枚です 
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准胝堂
准胝堂

孔雀堂
孔雀堂

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大塔の鐘
大塔の鐘

金  堂
一山(イッサン)の総本堂で、高野山の重要行事のほとんどは、この金堂で行われる。
金堂

不動堂
不動堂

蓮  池
不動池

  1. 2014/05/27(火) 09:22:35|
  2.   旅  
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高野山

高野山

和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称。
平安時代の弘仁10年(819)頃より弘法大師空海が
修行の場として開いた高野山真言宗、比叡山と並び日本仏教における聖地。
現在は壇上伽藍と呼ばれる根本道場を中心とする
100ヶ寺以上の寺院が密集する日本では他に例を見ない宗教都市。
山内の寺院数は金剛峯寺をはじめ117ヶ寺に及び、
その約半数が宿坊を兼ねている。
平成16年(2004)高野山町石道と山内の6つの建造物が
熊野、吉野・大峯と共に紀伊山地の霊場と参詣道として
ユネスコの世界遺産に登録された。

金剛峯寺 (コンゴウブジ)
金剛峯寺1

正  門
金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593)の再建。
金剛峯寺2

本殿 大玄関
現在の本殿は文久3年(1863)の再建
金剛峯寺4

屋根の上についている天水桶
金剛峯寺の屋根は檜皮葺で、その屋根の上に桶が置かれている。
これを天水桶という。
これは普段から雨水を溜めておき、火災が発生した時に、
火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、
少しでも類焼を食い止める役割を果たした。
金剛峯寺3

マウスオン2枚です 
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マウスオン2枚です 
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マウスオン2枚です 
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所在地・・和歌山県伊都郡高野町高野山 132

総本山金剛峯寺という場合、高野山全体を指す。
普通、寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、
その敷地内を境内というが、高野山は「一山境内地」といい
高野山の至る所が寺の境内地であり、高野山全体が寺。
高野山の本堂は、大伽藍にある金堂が一山の総本堂。
高野山の重要行事のほとんどは、この金堂で執り行われる。

  1. 2014/05/25(日) 09:57:44|
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高野山

宿坊に泊まる

今晩泊まる、熊谷寺
承和4年(837)に建立、初代の住職は弘法大師の孫弟子である 真隆阿闍梨。
浄土宗とも縁が深く、法然上人二十五霊場の番外札所になっている。
宿坊を兼ねていて、一般の人でも宿泊することができる。
宿坊1
円光堂
宿坊2
本 堂
宿坊3

宿坊9

宿坊6

宿坊8

宿坊4

宿坊12
4月7日、昨日降った雪が・・つららになっている。
宿坊5
庭のさつきにも霜が降りて・・・
宿坊10
夕  食
宿坊13
マウスオン2枚です 
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朝  食
宿坊16
宿坊の前の道
宿坊17
所在地・・和歌山県伊都郡高野町高野山 501
  1. 2014/05/23(金) 09:50:07|
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熊野三山

熊野古道
熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる
参詣道の総称。紀伊半島に位置し、
道は三重県、奈良県、和歌山県、大阪府に跨る。
2004年にユネスコの世界遺産(文化遺産における
「遺跡および文化的景観」)として登録された。

古代から中世にかけ、本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰が高まり、
上皇・女院から庶民にいたるまで、多くの人々が熊野を参詣した。
田辺から熊野本宮に向かう中辺路(ナカヘチ)、
田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう大辺路(オオヘチ)、
高野山から熊野本宮へ向かう小辺路(コヘチ)が、
熊野参詣道として世界遺産に登録されている。

最も多くの参詣者が歩いたとされる熊野参詣道・中辺路。
その難行苦行の道のりを終え、最初にたどり着くのが熊野本宮大社。
最初に熊野本宮大社を望む伏拝王子の名は、
やっとたどり着いた熊野本宮大社を伏して拝んだ
との由来からと伝えられる。

map_kodou.gif

熊野本宮大社から下る古道は通行止め・・∑o(*'o'*)o
古道1

古道2

古道3
それではと途中から少しだけ歩いた・・クリック・10枚です。
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北斗さんのソースをお借りしました

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  1. 2014/05/21(水) 09:37:08|
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熊野三山

熊野那智大社  別宮・飛瀧神社
マウスオンして下さい。


那智1
那智の滝
那智3
マウスオン2枚です 
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飛瀧神社       マウスオン2枚です 
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那智10

那智9

那智11

那智12

那智13

那智14

那智15

那智1-2
台風で流された・・・
那智16
所在地・・和歌山県那智勝浦町那智山
  1. 2014/05/19(月) 09:34:32|
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熊野三山

熊野那智大社

マウスオンして下さい。


参道の長~い石段
クリック・4枚です。
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non_nonさんのブログの小技からお借りしました。

左に行くと朱の大鳥居と大社の境内へ
右には青岸渡寺がある。
那智大社6

那智大社7

那智大社8

那智大社9 那智大社10
マウスオン2枚です 
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振り返ると
那智大社13

拝殿の奥には鈴門・瑞垣を挟んで本殿があり、
向かって右から滝宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、
中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)が並んでいる。
正殿の第四殿が最も大きく、若宮の左手前には第六殿(八社殿)がある。 <
宝物殿
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non_nonさんのブログの小技からお借りしました。

この門をくぐって青岸渡寺へ
那智大社19
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鐘 楼
那智大社26
大黒天     マウスオン2枚です
 

三春の滝桜の子供
那智大社25

那智大社27

那智大社22

那智大社28

那智大社29

那智大社30

那智大社31

那智大社32

那智大社33

那智大社34
青岸渡寺 山門
那智大社35
大社から青岸渡寺をぐる~っと周って・・
那智大社36
所在地・・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山 1
  1. 2014/05/17(土) 10:55:15|
  2.   旅  
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熊野三山

那智速玉大社

創建年代は不詳で。
熊野速玉大神(クマノハヤタマノオオカミ)と熊野夫須美大神(カマノフスミノオオカミ)を主祭神とする。
熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神とされ、
熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(ハヤタマノヲ)とされる。
この速玉之男神の名から神社名がつけられたといわれる。
熊野夫須美大神は伊邪那美神とされる。
もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、
いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。
神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶ。
マウスオン2枚です 
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マウスオン2枚です 
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熊野神宝館
速玉5

熊野神宝館の正面左に武蔵坊弁慶の像がある。

弁慶の生涯について 歴史的には謎に包まれているが
熊野別当の関係者として 今日まで伝えられている。
当地の伝承として、弁慶の出自は速玉大神に仕えた
熊野三党の一つ鈴木一族とされ、
源平の戦いに出陣したとなっている。
その最期については、源義経の叔父・新宮十郎行家と
共に源頼朝から追討を受け、この地で討ち死にしたと
伝えられている。


マウスオン・クリック、3枚です 
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速玉13

速玉14

速玉17

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速玉20

速玉22

速玉21

速玉23
所在地・・和歌山県新宮市新宮 1
  1. 2014/05/15(木) 11:38:04|
  2.   旅  
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熊野三山

熊野那智本宮
全国の熊野神社の総本宮にあたる熊野三山。
三山の中でもとりわけ古式ゆかしい雰囲気を漂わせるのが、
聖地熊野本宮大社。
熊野参詣道のなかでも、多くの人々がたどった中辺路を歩くと、
難行苦行の道のりを終え最初にたどり着くのが熊野本宮大社。
最初に熊野本宮大社を望む伏拝王子の名は、
やっとたどり着いた熊野大社を伏し拝んだ、
との由来からと伝えられている。
本宮1

本殿へと続く158段の石段の両脇には幟がなびき、
生い茂る杉木立が悠久の歴史を感じさせる。
本宮2
本宮3
本宮4
本宮5
本宮6
本宮7

拝  殿
本宮13
本宮8   本宮9
本宮10   本宮11
本宮12

総門をくぐると檜皮葺の立派な社殿が姿をあらわす。
向かって左手の社殿が夫須美大神(フスミオノオオカミ)
速玉大神(ハヤタマノオオカミ)の両神。
本宮16

中央は主神の家津美御子大神(ケツミミコノオオカミ)。
右手は天照大神が祀られていて、交通安全、大漁満足、
家庭円満、夫婦和合、長寿の神として人々を迎え入れてきた。
マウスオン2枚です 
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マウスオン2枚です 
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かつては、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある大斎原(オオユノハラ)の
中洲にあったが、明治22年の洪水で多くが流出し、
流出を免れた上四社3棟を明治24年(1891)現在地に移築・遷座した。
熊野は古くから人々の熱い信仰に支えられた聖地であり、
伊勢へ七度、熊野へ三度とさえ言われている。
本宮の地に神が祀られたのは、今からおよそ2000年前、
崇神天皇の世といわれている。
熊野詣が盛んであったのが、平安時代の中期から鎌倉時代にかけて
延喜7年(907)宇多法皇以来、法皇上皇の御幸も盛んで
白河上皇の9度、鳥羽上皇の21度、後白河上皇の34度、
後鳥羽上皇の28度と多くを数えたが、弘安4年(1281)
亀山上皇の御幸をもって終結をつげている。

江戸時代に入って、元和5年(1619)紀州藩主徳川頼宜が
熊野三山の復興に力を入れ、再び蟻の熊野詣の最盛期を迎えることができた。
身分や階級を問わない多くの人々が熊野にあこがれ、
救いを求め、甦りを願って異郷とも思える山深いこの地を目指した。

マウスオン2枚です 
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マウスオン2枚です 
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所在地・・和歌山県田辺市本宮町
続きを読む
  1. 2014/05/13(火) 09:39:04|
  2.   旅  
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九州の街道を巡る (長崎街道~豊前街道) 福岡

八女福島

筑後と豊後を結ぶ交通の要所で
江戸時代、商業と手工芸地として栄えた。
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町並みは、城下町の影響を受け整然とした町割を持ち、
製ろう・酒造・和紙・製茶など諸産業の会所・問屋が多かったため、
大規模な建築が並んでいる。
居蔵(イグラ)と呼ばれる妻入入母屋大壁塗込造りを
基本とする土蔵造りで、現在、町家約130軒が残り
国の重要伝統的建造群保存地区に選定されている。
八女3
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non_nonさんのブログの小技からお借りしました。

福島八幡宮 
八女4 八女5 八女6 八女7 八女8 八女9 八女10 八女11 八女12
所在地・・福岡県八女市本町 105-1

「堺屋」 旧木下家住宅
マウスオン・クリック、3枚です 
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所在地・・福岡県八女市本町 184

   
  1. 2014/05/11(日) 10:18:13|
  2. 街道巡り
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九州の街道を巡る (長崎街道~豊前街道) 福岡

柳川
戸島氏邸・庭園
柳川-1
柳川1
マウスオン・クリック、3枚です 
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柳川7

こんな所にもお雛様が・・・
マウスオン2枚です 
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柳川城跡
蒲池治久により築城された城郭で、城下町は現在の柳川市の元となった。
別名の舞鶴城の名は、鶴が舞うように美しいという城のシルエットによる
平城で、掘割に包まれた天然の要害をなし、城内、市街には
無数の堀が縦横に交わり、今も柳川の堀川として現存する。

柳川10

柳川12

柳川13
マウスオン2枚です 
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柳川16

柳川18

柳川17

柳川19
所在地・・福岡県柳川市本城町

  1. 2014/05/09(金) 09:42:07|
  2. 街道巡り
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九州の街道を巡る (長崎街道~豊前街道) 福岡

柳川
マウスオン2枚です 
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柳川22

柳川23

沖端(オキノハタ)水天宮
明治2年(1869)総本社である久留米水天宮の分霊を勧請、
地区内にあった稲荷神社と弥剣神社(祇園社)を合祀して創祀。
地元では「水天宮さん」と呼ばれている。
5月3・4・5日に行われる沖端水天宮祭りには
三神丸という舟舞台が作られ夕刻から水天宮囃子が演奏される。
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所在地・・福岡県柳川市稲荷町

柳川27
マウスオン2枚です 
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柳川28

柳川34
大豆で作ったお雛さま
柳川35

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矢留大神宮
柳川36

柳川37 柳川38
柳川39
マウスオン2枚です 
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柳川44

北原白秋 「帰去来」の詩碑
マウスオン・クリック、3枚です       三枚目は、帰去来詩の解説 
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マウスオン2枚です 
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所在地・・福岡県柳川市矢留町 25
  1. 2014/05/07(水) 10:17:19|
  2. 街道巡り
  3. | トラックバック:1
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九州の街道を巡る (長崎街道~豊前街道) 佐賀

佐賀城
古名は佐嘉城。別名、沈み城、亀甲城。
江戸時代初頭に完成し、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城だった。
佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城。
幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれている。
平坦な土地にあるため、城内が見えないように
土塁には松や楠木が植えられている。
城が樹木の中に沈み込んで見えることや、
かつては幾重にも外堀を巡らし攻撃にあった際は
主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、
沈み城とも呼ばれた。
江戸時代には、城下と城内に掘割が縦横に張り巡らされ、
生活用水に使用されていた。
城下は豊前小倉から長崎まで続く長崎街道が通り、宿場町としても栄えた。
明治時代初期に起こった佐賀の乱により大半の建造物は焼失し、
鯱の門と続櫓のみが残っていて国の重要文化財に指定されている。
鯱の門側面に生い茂るハート形のツタは
恋愛スポットだそうだ!
マウスオン・クリック、3枚です 
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マウスオン・クリック、3枚です 
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完成当初からバリアフリー
普通、殿様は一段高い所にすわってるけど
(お城によっては、3段くらいになっているのもある)
このお城は殿様も家来も、同じ高さ。
マウスオン2枚です 
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桜は満開・・
佐賀城11
天守閣跡
佐賀城10

佐賀城12
所在地・・佐賀市城内 2-18-1

  1. 2014/05/05(月) 10:16:24|
  2. 街道巡り
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九州の街道を巡る (長崎街道~豊前街道) 佐賀

大隈重信旧宅
大隈重信は、天保9年(1838)この地で生まれた。
生家は天保以前の武家屋敷の面影を残した貴重なもので、
大隈が産声をあげて成長した八太郎時代の家庭と、
その遺徳をしのぶことができる貴重な遺跡になっている。
マウスオンして下さい。


大隈1

マウスオン・クリック、3枚です 
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大隈5

大隈6

大隈7

大隈8


大隈重信の体を表現した大隈記念館
マウスオンして下さい。

大隈9
所在地・・佐賀市水ヶ江 2-11-11

  1. 2014/05/03(土) 10:15:32|
  2. 街道巡り
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  4. | コメント:4

我が家の藤


今年も沢山の花をつけた我が家の藤
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  1. 2014/05/01(木) 10:20:56|
  2.   花
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クラシック・アナログ時計

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