すたのピンコロ日記

旅をして、美味しいものを食べて、毎日を楽しく!

墨田区

吾妻橋
隅田川にかかる橋で、、神谷バーなど浅草中心に近い橋。
吾妻橋3
吾妻橋1
吾妻橋2

勝 海舟像
マウスオン・クリック、3枚です 
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三ッ目通り


妙縁寺
寛永6年(1629)日舜上人の再建、公家寺として知られ朝廷との関係が深い。
妙縁寺5

江戸時代、水源が少なく人口が多い江戸にとって、水は貴重だった。
妙縁寺3
妙縁寺4
所在地・・墨田区吾妻橋 2-2-10


福厳寺
延徳3年(1491)に吉祥寺二世大洲安充和尚が開山した。
朱色の門は三代将軍徳川家光が父秀忠の追福のために寄進したもので、
古くから赤門寺と呼ばれていた。
赤穂浪士大石内蔵助の縁者である、大石三平や原田きぬの墓がある。
大石三平は、四国松山の松平家江戸家老で横網に住み、
福厳寺の住職を禅の師として親しくしていたころから、
三平は赤穂義士の吉良家討ち入りのため、参禅・聞法の集会と称して、
当寺で義士に密談を行わせたり、このあたりの地理に詳しいことから
義士討ち入りの手引きをするなど、陰にあっていろいろ援助していたという。
福厳寺1
福厳寺2
所在地・・墨田区東駒形 3-21-3

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  1. 2015/08/30(日) 09:48:24|
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品川区

誕生八幡神社
文明年間(1469~1487)太田道灌が夫人の安産祈願のために
宇佐八幡を勧請して建てた。
無事に男の子が出産できたことから誕生八幡神社と命名。
安産の守り神といわれている。
誕生八幡1

誕生八幡2

目黒のサンマ祭りの会場。
所在地・・品川区上大崎 2-13-36 

高福院
高野山無量寿院末。
慶安元年(1648)に阿闍梨頼順が開山した。
隣接している誕生八幡神社のもと別当寺、
御府内88ケ所霊場4番札所。
高福院1

高福院2
  1. 2015/08/28(金) 09:25:03|
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品川区

上大崎寺町

港区にある増上寺は、江戸時代徳川家の菩提寺として大きな勢力を持っていた。
この上大崎1丁目に集中する増上寺ゆかりの寺々の多くは、
江戸時代の初めに芝周辺に創建された増上寺の塔頭で、
江戸時代初期の明暦の大火の後、麻布狸穴(港区)に集められていた。
これらの寺の土地が、3代将軍徳川家光の息子・甲府宰相綱重の屋敷になるため、
幕府の命で寛文元年(1661)に、現在地に移転した。
当時の公的記録には「増上寺下屋敷」と記載されている。
戒法寺、本願寺、最上寺、光取寺、清岸寺、正福寺
善長寺、了福寺の8ケ寺だったが
正福寺、善長寺は、その後に移転してきた常光寺、隆崇院と合併して名称を変えた。
了福寺は廃寺になり、跡に宝蔵寺が移転してきた。 
昭和6年(1931)増上寺山内から月窓院が移転してきたため、
増上寺子院群は現在も8ケ寺、宝蔵寺を加えた9ケ寺が上大崎の寺町を形成している。


光取寺   創建 寛永元年(1624)
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光取寺3

本願寺
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最上寺
最上寺

常光寺   創建 和元年(1615)
常光寺2
常光寺1
福沢諭吉先生永眠の地碑
常光寺3
常光寺4

清岸寺
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清岸寺3

隆崇院  創建 寛文9年
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所在地・・品川区上大崎 

  1. 2015/08/26(水) 09:50:07|
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港区

八芳園 庭園

東京白金台の自然の丘陵と小川跡を利用してつくられた八芳園は、
樹齢数百年の樹木や渡り鳥の姿等を見ることのできる由緒ある日本庭園。
八芳園のある白金台は、江戸時代初期には、
徳川家康の側臣の一人、大久保彦左衛門の屋敷だったといわれている。
徳川家康が臨終のとき、彦左衛門に遺言を残した。
「彦左衛門の我儘無礼は生涯にわたって許す。
予(家康)亡き後は万事彦左衛門を予の名代とする。
今後将軍に心得違いがあらば彦左衛門に意見させよ」と。
これこそ彦左衛門が「天下のご意見番」と呼ばれた所似。
徳川家康への忠義は人一倍、それでいて弱い者のためには
幕府はもとより将軍ですら叱り飛ばす。。
講談や時代小説に描かれた彦左衛門は、まさに庶民の味方であり、
日本人好みのヒーロー像そのもの。
彦左衛門の逸話は『大久保武蔵鐙』や『名将言行録』など多くの書で伝えられている。
八芳園1

八芳園2

八芳園3
十三層塔
二百有余年前の元文年間に造られ
剣客・荒木又右衛門の出身地・伊賀の上野にあったもの。
関東大震災でも倒れなかった質実剛健な造り。
八芳園5

八芳園6

八芳園7

八芳園8

八芳園9

八芳園13

八芳園14


八芳園10
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所在地・・港区白金台 1-1-1



覚林寺  
かつて熊本藩中屋敷の一部だった。
寛永8年(1631)、誕生寺18世可観院日延の隠居寺として開山。
日延は李氏朝鮮第14代国王宣祖の長男、臨海君の子で、
文禄・慶長の役の際に清正によって日本へ連れてこられた人物。
弘化2年(1845)、火災により全焼。
江戸最初の七福神巡りとされる元祖山手七福神の一つ、毘沙門天を祀る寺でもある。

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山  門  
覚林寺1

清正公
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本  堂
覚林寺4

毘沙門堂と稲荷堂
覚林寺5
所在地・・港区白金台 1-1-47



明治学院  記念館
ジェームス・カーティス・ヘボンが横浜に開いたヘボン塾を起源とする
日本最古のキリスト教主義学校(ミッションスクール)
尖塔のあるこの記念館は明治23年(1890)に神学部校舎兼図書館として建設された。
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所在地・・港区白金台 1-2-37

  1. 2015/08/24(月) 09:15:15|
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港区

白金氷川神社
日本武尊が東征の折に大宮氷川神社を遥拝した当地に、
白鳳時代に創建されたと伝えられている。
江戸時代中期の明和9年(1772)明和の大火により焼亡し、
江戸後期に社殿が再建。太平洋戦争末期の昭和20年(1945)
空襲によって江戸後期の社殿が焼亡した。
現在の社殿は昭和33年(1958)に竣工。
白金氷川1

白金氷川3 白金氷川4

白金氷川6 白金氷川5

白金氷川2
所在地・・港区白金 2-1-7


立行寺  大久保彦左衛門ゆかり
寛永7年(1630)、旗本大久保彦左衛門によって創建。
寛文8年(1668)火災にあい現在地に移転。
立行寺1

立行寺2

立行寺3

鞘堂付の大久保彦左衛門の墓
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魚屋一心太助の墓
立行寺7
所在地・・港区白金 2-2-6


  1. 2015/08/22(土) 09:55:53|
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港区

天現寺
徳川家康が江戸に幕府を開いてから庶民がここに集まり、
寺院も次第に数多く創建され初めた。
享保の初め頃になると新たな寺院の建立は特別な理由のない限り許されなくなった。
当寺は、たまたま小日向御笥町にあった臨済宗大徳寺末の普明寺を引継ぎ
享保4年(1719)現在地に移築して多聞山天現寺と改め、
新たな法幡を竪起することとなった。
開山は広尾祥雲寺八世怡溪和尚の法嗣、良堂大和尚。
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天現寺1

天現寺6 天現寺7
天現寺8 天現寺9
天現寺2

天現寺4 天現寺5
天現寺3
所在地・・港区南麻布 4-2-35


青木坂
江戸時代中期以後、北側に旗本青木氏の
屋敷があったために、こう呼ばれた。
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ハナマウントベット社  社長の自宅
パラマウントベット社


擁壁のコンクリート排水穴は雀のお宿
雀


光林寺  ヒュースケンゆかり
丸亀藩主・京極備中守高豊が開基となり、
盤珪國師(元禄6年~1693年)が延宝6年(1678)麻布谷町に創建、
元禄7年当地へ移転した。
盤珪國師は、姫路龍閑寺をも創建した他、
大本山妙心寺の住職を務めた名僧。
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光林寺6

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所在地・・東京都港区南麻布 4-11-25
  1. 2015/08/20(木) 09:45:23|
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港区南麻布

南部坂
南部坂1


有栖川宮記念公園
江戸時代には陸奥・盛岡藩下屋敷だった。
明治29年(1896)、有栖川宮威仁親王の御用地に・・
有栖川家が廃絶すると、高松宮御用地になった。
児童の健康や自然に格別の関心を持っていた高松宮は
昭和9年(1934)1月5日、有栖川宮の命日にちなんで
御用地約11,000坪を公園地として東京市に賜与、
記念公園として一般開放された。

都心には稀な閑雅な地で、園内は起伏に富み、東側の高台から
西南側の低地に向けて大きく傾斜した地形になっている。
丘陵より渓谷を下って池畔に至る地形やその周辺に茂る樹木は、
日本古来の林泉式の修景による高雅な自然趣味の庭園。
園内には梅や睡蓮、花ミズキなど四季折々の花。
有栖川1

有栖川2

有栖川3

有栖川4

有栖川5

有栖川6

有栖川7

有栖川8

有栖川11
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所在地・・港区南麻布 5-7-29


廣尾稲荷神社
慶長年間、徳川二代将軍秀忠公の勧請と伝えられる。
此のころ麻布広尾辺は萩の名所で当社の俗称「ハギナメ稲荷」は
可憐な萩が地をナメル様に咲き乱れていたことによる。
社殿は木造明神造り、御神体は木造翁の立像。
商売繁昌、五穀豊穣、火伏の神として信仰を聚めている
廣尾稲荷1

廣尾稲荷2 廣尾稲荷3
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廣尾稲荷6

廣尾稲荷7
所在地・・港区南麻布 4-5-61


広尾庚申塔
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  1. 2015/08/18(火) 10:10:59|
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埼玉県

古代蓮の里の裏手にたんぼアートがある

27年度のテーマは、「未来 へつなぐ古 (イニシエ)の軌跡 」
古代蓮・地球・子どもたち・宇宙・はやぶさ2 

マウスオンして下さい

たんぼアート0

6月13日撮影
たんぼアート1
たんぼアート2

7月28日撮影
たんぼアート6
たんぼアート7
たんぼアート8
たんぼアート3
たんぼアート4
たんぼアート5

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  1. 2015/08/16(日) 10:28:23|
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埼玉県行田市

古代蓮の里
蓮田1

蓮田2

蓮田3

蓮田5

蓮田4

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蓮田10天上蓮

蓮田11舞妃蓮

蓮田12

蓮田6

蓮田7

蓮田13
所在地・・埼玉県行田市小針 2375



  1. 2015/08/14(金) 09:45:54|
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埼玉県 吉見町

松山城  (武蔵松山城)
室町時代の応永6年(1399)上田友直によって築城。
麓をめぐる市野川を天然の堀として利用し
丘陵上に建てられた平山城。
その天然の要害から不落城とも言われた。
西側の市野川を挟んで対岸にあたる比企郡の松山本郷は
平地になっていて城下町が形成された。

城山の壁に通称「岩窟ホテル」
ホテルと言っても実際に宿泊施設だったわけではなく、
明治から大正にかけて、近隣に住んでいた高橋峯吉氏が、
21年間かけて、ノミとツルハシだけで作りあげたもの。
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松山城4

松山城1

松山城6

松山城2

松山城3
山頂に着いた
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松山城7

松山城8
所在地・・埼玉県比企郡吉見町大字南吉見字城山



龍性院  境外仏堂
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龍性院1

胎内くぐり
「子宝・安産・子育ての願いに通ずる」
龍性院2

龍性院5
龍性院4



松山城に登る手前にある 當選寺
當選寺1

當選寺2

當選寺3

當選寺4
所在地・・埼玉県比企郡吉見町南吉見 5

  1. 2015/08/12(水) 09:29:16|
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埼玉県吉見

吉見百穴( ヨシミヒャクアナ)
凝灰岩の岩山の斜面に219個の穴が空いている。
こういう遺跡としては日本一の規模。
穴の入り口は直径1㍍程度だが、
内部はもう少し広くなっていることが多い。
古墳時代後期(6世紀-7世紀頃)に造られたもので、
他の多くの古墳が土を盛った小山の中に一つだけ
玄室がある構造なのに対し、
岩山の表面から数㍍の小穴(古墳の玄室に相当するもの)を
多数掘って造られた集合墳墓。
多くの穴に古墳と同様の台座状構造があり、
ここに棺桶を安置したとされる。
台座は穴によっては複数存在していて、
家族単位で葬られたものと考えられている。
多くの穴の入口の周囲には段差状の構造があり、
緑泥片岩(緑色の石)で作られた板状の蓋がはめ込まれている。
これは後から穴を容易に開閉可能とするものとされ、
一つの穴に追葬が行われたことを示す。

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吉見百穴2

吉見百穴5

吉見百穴3

吉見百穴6
吉見百穴8

吉見百穴9

吉見百穴10
吉見百穴4

後期に造られた穴は整然と並んでいる。
吉見百穴7

吉見百穴11
吉見百穴12

マウスオン2枚です 
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吉見百穴16

比較的初期に造られた穴は不規則
吉見百穴17

吉見百穴19


岩山の下方には、ヒカリゴケが自生している穴がある。
コケ類の一種で、緑色の光を放出しているように見えるところから、
この名がついている。
ヒカリゴケの生育には、一定の気温と湿度を保つ環境に恵まれることが必要で、
この条件に合った吉見百穴の横穴墓内にヒカリゴケが自生している。
一般的に中部以北の山地に見られるが、
関東平野に生育していることは植物学上極めて貴重。
吉見百穴26


地下軍需工場跡
太平洋戦争中、中島飛行機大宮工場の全施設をこの地下に移転するため、
全国各地から集められた3000~3500人の朝鮮人労働者によって掘削された。
工場としては、本格的な生産に入る前に終戦を迎え、あまり機能しなかったというが
この岩山の地下に軍需工場を建設するため、
その出入口として岩山の最下部に大きなトンネル(直径3㍍ほど)が3本掘られた。
この時、元から存在していた横穴が数個崩されて消滅した。
これらの軍用トンネルの内壁は、ほぼ素掘りのままとなっている。
夏期は涼風が吹き出すことがある。
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所在地・・埼玉県比企郡吉見町 327 


  1. 2015/08/08(土) 09:03:11|
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埼玉県行田市

さきたま古墳群
県名発祥の地といわれ、1300年から1500年くらい前に建造された古墳が
8基の前方後円墳と1基の円墳の大型古墳が残る全国有数の大型古墳群。
いずれも後円部をほぼ北に向け築かれている。
かつては大型古墳の周りに陪臣の小型古墳、円墳35基、
方墳1基があったが、昭和初期に周囲の沼地の干拓で取り壊された。
古墳群は、関東平野の中のなだらかな微高地の先端に位置し、
周辺には利根川と荒川に挟まれた肥沃な水田地帯が広がる。

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さきたま古墳群3
さきたま古墳群4

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さきたま古墳群6

丸墓山古墳
さきたま古墳群7
丸墓山古墳の手前にあるのが梅塚古墳址
さきたま古墳群11

二子山古墳
さきたま古墳群8

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さきたま古墳群9
所在地・・ 埼玉県行田市埼玉 4834




  1. 2015/08/06(木) 09:34:55|
  2.   旅  
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九州の街道を巡る    豊前街道~肥後海道~中津街道  大分県中津市

中津城跡
周防灘に臨む中津川河口の地に築城された梯郭式の平城。
堀には海水が引き込まれているため、水城ともいわれ、
今治城、高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられる。
黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。
江戸時代の大半は、奥平氏が居城としていた。
中津城跡1

黒田孝高(如水)が普請した石垣は、天正16年(1588)に普請された
現存する近世城郭の石垣としては九州最古のもの。
本丸上段北面石垣(模擬天守北面下)は、
黒田氏の石垣に細川氏が石垣を継いだ境が見られる。
向かって左が細川氏、右が黒田氏普請の石垣。
両時代の石垣とも花崗岩が多く使われている。
中津城跡3
中津城跡4

中津城跡24
中津城跡5

奥平神社    マウスオン2枚です 
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中津大神宮
中津城跡11 中津城跡12
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鉄御門跡
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扇城神社   マウスオン・クリック、3枚です 
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城井神社   マウスオン・クリック、3枚です 
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中津神社
中津城跡21 中津城跡22
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福沢諭吉の偉業を称えた独立自尊の碑
中津城跡18

西南の役中津隊の碑
中津城跡19

中津城跡17
所在地・・大分県中津市二ノ丁本丸

今回で二年にわたる九州の街道を巡る旅を終わります。
長い間のお付き合いを、有難うございます。
秋から四国を巡ります。

  1. 2015/08/04(火) 10:01:45|
  2. 街道巡り
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九州の街道を巡る    豊前街道~肥後海道~中津街道  大分県中津市

合元寺 (赤壁寺)
合元寺1

合元寺2

合元寺3

合元寺4

合元寺5

合元寺6
所在地・・大分県中津市寺町 971

  1. 2015/08/02(日) 10:12:22|
  2. 街道巡り
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クラシック・アナログ時計

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