すたのピンコロ日記

旅をして、美味しいものを食べて、毎日を楽しく!

東北の旅   青森県

十和田湖
青森県十和田市、秋田県鹿角郡小坂町にまたがる湖。
せっかくの十和田湖が雨と霧で・・・
十和田湖1

十和田湖2

十和田湖3

十和田湖4

十和田湖5

乙女の像
十和田湖6



十和田神社
十和田神社2 十和田神社3
十和田神社1

十和田神社4

十和田神社5

十和田神社6

十和田神社7

十和田神社8

十和田神社9 十和田神社10
十和田神社11

十和田神社12

十和田神社13 十和田神社14
十和田神社15

十和田神社16

十和田神社17

新しい生命・・・何十年かしたら大木になるだろう
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  1. 2016/09/28(水) 09:15:02|
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東北の旅   青森県

奥入瀬渓流
渓流沿いにはいくつもの滝が点在し、瀑布街道とも呼ばれている。
奥入瀬1

奥入瀬2

奥入瀬3

奥入瀬4

奥入瀬5

奥入瀬6

奥入瀬10
奥入瀬12

奥入瀬7

奥入瀬8

奥入瀬9


十和田湖への魚の遡上を阻止してきた魚止めの滝・銚子大滝をはじめ、
阿修羅の流れ、雲井の滝等沢山の滝があるが
雨もありバスを止めておけないので、一部を車窓から見た
奥入瀬14

奥入瀬15

奥入瀬16

奥入瀬17
所在地・・青森県十和田市十和田湖畔子ノ口(ネノクチ)~焼山



  1. 2016/09/25(日) 12:13:51|
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東北の旅   青森県

大町桂月  明治2年1月24日(1869)~大正14年6月10日(1925)
近代日本の詩人、歌人、随筆家、評論家。本名:大町芳衛(ヨシエ)

高知市北門筋に元土佐藩士の息子として生まれる。
雅号の桂月は月の名所、桂浜に因んでつけた。
大正2年(1913)に出版された「人の運」は、
洋の東西を問わず通ずる処世訓集として当時のベストセラーになった。
終生酒と旅を愛し、晩年は朝鮮、旧満州まで足を延ばしている。
桂月は北海道の層雲峡や羽衣の滝の名付け親でもある。
北海道各地を旅行してその魅力を紀行文で紹介した。
大雪山系の黒岳の近くには、彼の名前にちなんだ桂月岳という山がある。

青森県の十和田湖と奥入瀬をことに愛し、
晩年は蔦温泉に居住し、大正14年(1925)本籍も蔦温泉に移したが
病の為57歳の若さで逝去。
墓は、蔦温泉の温泉旅館の近くにある。


蔦温泉
久安3年(1147)に発見された平安の湯。
一軒宿の「蔦温泉旅館」が唯一営業している。
十和田樹海と呼ばれるブナの原生林の中にあり
大正時代に建造された本館と、源泉が足元から湧出するヒバの浴槽「久安の湯」が自慢。
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蔦温泉5
蔦温泉4

蔦温泉8

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所在地・・青森県十和田市奥瀬字蔦野湯1


大町桂月の墓
大町桂月1

大町桂月2

大町桂月3

大町桂月4

大町桂月5

大町桂月6
所在地・・青森県十和田市奥瀬蔦野湯1



  1. 2016/09/22(木) 10:11:24|
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東北の旅   青森県 

幸畑陸軍墓地
明治8年11月、弘前にあった東北鎮台弘前分営が青森に移駐した後、
病傷兵士埋葬の陸軍墓地として造営された。
明治36年7月、明治35年1月に発生した歩兵第5聯隊の
八甲田山雪中行軍遭難事故の慰霊地として整備、官修墓地として管理した。

世界山岳遭難史上最大の事故であった歩兵第5聯隊の
八甲田山雪中行軍慰霊地として、歴史的事実を知る上で極めて重要な文化財である。

 クリックして下さい⇒八甲田山雪中行軍

幸畑1

幸畑2

幸畑3

幸畑4

幸畑5

幸畑6

雪中行軍遭難者碑
幸畑7

少尉・士官の墓標
幸畑8

生存者合同墓碑 (11名)
幸畑9

幸畑10

幸畑12
幸畑11

幸畑13
幸畑14 幸畑15

地蔵尊     マウスオン2枚です 
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地蔵尊     マウスオン2枚です 
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供養塔
幸畑21
幸畑22


幸畑23
幸畑24
幸畑26

【あゝ陸奥の吹雪】雪中行軍遭難六十周年記念
幸畑

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所在地・・青森県青森市幸畑字阿倍野163 



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八甲田山雪中行軍・後藤伍長銅像
遭難し、直立したまま仮死状態で発見された後藤房之助伍長の像
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綺麗な白樺林・・でも中に入ったら方向も分からず迷ってしまうだろう
まして豪雪の冬はどんなだろう? 想像しただけで身震いした。
八甲田2
八甲田3
八甲田4
八甲田5


  1. 2016/09/19(月) 09:36:39|
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東北の旅   青森県東津軽郡

義経伝説のロマンあふれる外ヶ浜三厩
三馬屋(ミウマヤ)→三厩村(ミンマヤムラ) 
厩石5

源義経龍神塔と静御前龍神塔
厩石1

義経伝説が残る厩石(マヤイシ)
厩石2
厩石4

源義経は鎌倉時代、将軍であり兄でもある源頼朝に命を狙われ、
奥州平泉の藤原氏へ落ち延び、鎌倉に対抗しようと足元を固めていたところ、
藤原氏に討たれ、首は鎌倉へ届けられた。

義経北行伝説
藤原氏が義経を討ったと偽り、ひそかに平泉から逃がし、
青森県を縦断し蝦夷が島(北海道)へ渡ったと言う伝説

義経の死後800年以上経つ今でも岩手県~青森県各地に
義経ゆかりの地や逸話が伝わっていて、
義経が蝦夷が島まで逃げ延びた痕跡が辿れる。

この厩石は、義経が蝦夷が島に渡る時に立ち寄った場所で、
次のようないわれがある。
蝦夷が島に渡ろうとこの地にたどり着いた義経主従一行は
津軽海峡の波が激しく足止めを食らってしまう。
義経はそこにあった岩場によじ登り、
肌身離さず持っていた観音像を掲げ、三日三晩
波が穏やかになるよう祈りをささげたところ
白髪の翁が現れ、三頭の竜馬(羽根がある馬)を与えられ、
穏やかになった海を無事渡ることができた。
竜馬がつながれていたこの岩は厩石と呼ばれるようになり、
現在の地名の三厩(ミンマヤ)は、三馬屋(ミウマヤ)から
起こった地名として現在も残っている。

義経が海を渡った方法については
津軽藩の1680年代の文献にあったとされ、
古くから伝わるものであることが分かる。

義経が掲げた観音像を見つけ、竜馬山義経寺に木像と共に
円空上人が祀ったと言われるなど、外ヶ浜町三厩には
多くの伝説が残っている。



松前街道終点之地
承応2年(1653)の津軽領道程帳で今別町が終点だった松前街道は、
享保2年(1717)の頃には三厩迄開削された、
これ迄小泊湊から渡海していた幕府巡見使一行は
初めて三厩湊を経由、渡海している。
藩の公簿に見る今別~三厩間の道は、石路、中石路とあり、
他村の道のような岩難所、大石路、登難所などと表現した難所は少いが、
波打際の磯辺路であった。
幅員2メートル余のこの道を吉田松陰、頼三樹三郎、
高山彦九郎などが駆け抜けていったのである。
厩石7


義経寺
厩石9
この山の上にあるが、今回は訪ねなかった。
厩石10

          
観瀾山公園
厩石11
厩石20
厩石12
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厩石17
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対岸の北海道が見える。
厩石18
厩石19
所在地・・青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩龍浜



合流の地・油川
羽州街道の終点、松前街道の起点
松前1
松前3
松前2
松前4



  1. 2016/09/16(金) 10:09:11|
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東北の旅   青森県東津軽郡

竜飛岬
名前はアイヌ語のタム・パ(tam-pa 刀の上端)の転訛
津軽半島の最北端、津軽海峡に突き出た岬で竜飛埼ともいわれる。
海から1日中強い風が吹き付ける土地柄で、
冬でも降った雪が風に飛ばされ、深く積雪することは少ない。
晴れた日には津軽海峡を挟んで北海道の白神岬が見える。

竜飛1

竜飛2

竜飛3

竜飛4

吉田松陰詩碑
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竜飛7

大町桂月文学碑
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岬下を覗く
竜飛14
竜飛15

石川さゆりの「津軽海峡冬景色」歌碑
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階段国道
竜飛18
竜飛崎を通る国道339号線は、岬下から灯台までが362段の階段になっている、
日本で唯一、総延長388.2メートルの階段国道
津軽海峡からの風をうけ斜面を登るこの道は、
車両は通れないが旅情をそそる名所
竜飛19

竜飛20
竜飛21
竜飛22
竜飛23
竜飛24
竜25
竜飛26
竜飛27
竜飛28
竜飛29
この丘の中を階段国道が通る
竜飛30
岬下
竜飛31
所在地・・青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩龍浜


  1. 2016/09/13(火) 12:07:35|
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東北の旅   青森県五所川原市

芦野公園

津軽鉄道     芦野公園駅
芦野1
芦野2
芦野3
芦野5

吉永小百合さんのポスター
芦野4

手前が駅舎  向うが旧駅舎
芦野6

芦野7
ホールに立って左を見る
芦野8
ホールに立って右を見る
芦野9

旧駅舎
五角形の「腰折れ破風」が設置された半切り妻の屋根を持つ木造平屋建て
昭和50年(1975)の開業時から駅舎として利用された。
太宰治の小「津軽」に登場、今はNPO法人「かなぎ元気倶楽部」の喫茶店
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踏切から
芦野10

芦野13

芦野14
ヴェルレーヌの一節「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」。
中央の鉄格子は「人間の道には狭い険しい一つ一つの門がある」ということを表現。
芦野15

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吉 幾三 「津軽平野」の歌碑
芦野20

「風を截る音色に津軽の魂が宿る」…藤本義一…藤本義一かぁ…
芦野21

芦野22
芦野23
所在地・・青森県五所川原市金木町芦野 84-171

  1. 2016/09/10(土) 10:54:34|
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東北の旅   青森県五所川原市

太宰 治の生家   太宰治記念館 「斜陽館」
明治40年(1907)に、父で衆議院議員だった津島源右衛門が建てたもの
太宰1

太宰2
所在地・・青森県五所川原市金木町朝日山 412-1


太宰治の小説「津軽」の像記念館
太宰治が2~6才までの間、子守役をつとめた越野タケが眠る地に開館.。
小説「津軽」にタケとの小泊村での30年ぶりの再会の場面が書かれている。
「タケはそれきり何も言わず、きちんと正座して
そのモンペの丸い膝にちゃんと両手を置き、
子供たちの走るのを熱心に見ている。
・・・平和とは、こんな気持ちの事を言うのであろうか。
もし、そうなら、私はこの時、生まれてはじめて心の平和を体験したといっていよい。」 
時は、太平洋戦争中の1944年5月のことである。
太宰3

太宰4
成人した太宰治             少年時代の治
太宰5 太宰6
タケさん
太宰7

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太宰13
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太宰171

太宰16

館内に展示されていた作品
太宰10
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所在地・・青森県北津軽郡小泊村砂山 1080-1


  1. 2016/09/07(水) 09:04:44|
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東北の旅   青森県北津軽郡

廻堰大溜池(マワリゼキオオタメイケ)  津軽富士見湖
岩木山を水源とする白狐沢からの自然流水による貯水池だったのを、
万治3年3月(1660)に四代藩主津軽信政が樋口権右衛門を廻堰大堤奉行に任命し、
柏村地方の用水補給のための堤防を築き用水池にした。
その後、豪雨、融雪と自然災害により元禄、寛政、文政、明治、大正と堤防が決壊し、
そのたびに大修理が加えられ関係者の苦難は多大だった。
この長期にわたる努力と地域住民の献身的な働きかけによって
昭和16年から県営事業として築堤工事に着手し、その後国営工事に切替られた。
春の増水期には1,100万トンの貯水量を有し、県内でも人造湖としては
最も大きな貯水湖で、西津軽一円の農業にとって欠くことのできない。
鶴の舞橋1


鶴の舞橋
全長300mのこの橋は、三連太鼓橋では日本一長い木橋で
岩木山を背景にした舞橋の姿が鶴が空に舞う姿に見えるとも言われ
夜明けとともに浮かび上がる湖面の橋の姿や、
夕陽に色づく湖と鶴の舞橋が絶景の津軽富士見湖
鶴の舞橋3

鶴の舞橋4
岩木山と小ステージ
鶴の舞橋5

鶴の舞橋6

鶴の舞橋7

鶴の舞橋8

鶴の舞橋9

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鶴の舞橋15

鶴の舞橋16

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鶴の舞橋19

鶴の舞橋20

鶴の舞橋21

鶴の舞橋22

戸隠神社
鶴の舞橋23 鶴の舞橋24
鶴の舞橋25
所在地・・青森県北津軽郡鶴田町廻堰大沢 81-150



  1. 2016/09/04(日) 11:02:51|
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東北の旅   青森県弘前市

弘前城跡
三重の堀をめぐらす平山城、東西800m、南北1km、面積49万㎡
最初の天守は、鷹岡藩2代藩主・津軽信枚により
慶長14年(1609)頃に本丸南西隅に建てられた。
寛永4年(1627)の落雷で本丸御殿や諸櫓とともに焼失し
現在は二の丸南門、同東門、三の丸追手門、同東門、
四の丸北門(亀甲門)の5棟が残っている。

弘前城2
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弘前城4

弘前城6
弘前城5
弘前城7

南内門
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弘前城11
弘前城10

弘前城12
弘前城13

弘前城14

弘前城15


現在石垣工事のために天守曳屋が行われ
天守が移動している
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弘前城16
弘前城19

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弘前城21

弘前城23
弘前城22
弘前城24
所在地・・青森県弘前市下白銀町 1-1


仲町武家屋敷
弘前城は当初北門を追手門としていたので
追手門の守りとして中・下級の武家屋敷が仲町に集中していた。

現在はサワラの垣根と黒塗りの薬医門飲のみが残っている。
弘前城25

弘前城27

弘前城26

弘前城28

弘前城29

弘前城30



  1. 2016/09/01(木) 09:59:06|
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