すたのピンコロ日記

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奥の細道⑱   越堀宿

夫婦石
神社の由来によると、今から数百年前、戦国の世に
一組の男女がいて、 敵に追われこの地に逃げてきた。
あたりは一面の芦の茂みで、 身を隠す処もなく、
ふと見ると其の中に大きな石があり、男は女を抱えて
この石の割れ目に身を隠した。
この時追っ手は、この石のそばに来た。
すると白蛇が二匹現れ、巨大な石が揺れ動くのを見て
恐れおののき逃げ帰った。
二人はこの石のお陰で命を救われ、
この地に住みつき二人仲良く田畑を耕して暮らしたという。
時代の移り変わりと共に、この地にも人が住み、
誰いうとなく見落石がめおと石となり、
この石は夜になると、互いに寄り添うという話が伝えられ、
いつの頃からか夫婦石と呼ぶようになり、
ご神体・夫婦石として祀り縁結びの夫婦石神社となった。
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「わが国の巨木信仰」
昔から巨木には神霊が宿るという原始信仰があった。
この信仰の原初は、生命に対する信仰。
樹齢千年以上の巨木があれば、その大木を
まじかに見上げる人々に 畏怖や憧憬の心が芽生える。
古代からわが国には、神籬(ヒモロギ)、 御柱など樹木、
特に巨木は天と地を結ぶものであり、 これを伝って
神が降臨すると信じて、集落の神聖な場所に巨大な柱を立て
神の降臨を仰ぐ柱信仰があったといわれている。
また巨木は生命の根源である呪力を持つと信じ、
神木として 信仰する精霊信仰としての風習があった。
縄文時代の石川県真脇遺跡、チカモリ遺跡の巨木列柱なども
古代の宗教的儀式に使われた建造物であると推定されている。
木を神聖なものとしてとらえる観念的な考え方があった。
神籬は、当初は自然木であったり、柱を立てたりしていたが、
やがてその木を使用して神の降臨する依代(ヨリシロ)としての
施設を造るようになり、やがて神社本殿の成立をみる。
法隆寺の柱は直径2.5mの巨木を四つ割りし、
芯部分を取り去った「心去り材」を使用している。
これだけ太い原木を使い、また手間をかけて作った
貴重な円柱を建物の周囲に廻らせる。
さらに軸組構法では梁材の長さに応じて内部にも
柱を立てることが必要なため、内部は多柱構造となる。
仏堂の内部には太い円柱が何本も立ち並び、
その中央に本尊や仏像が鎮座している。
そのありさまは、まるで呪力を持った太い柱が外界の邪気を祓い、
仏の周りを守るがごとく林立している。
奈良時代の創建時の東大寺金堂(大仏殿)には、
合計76本にのぼる柱があった(現在の大仏殿は60本)
大仏はその中央にこれらの柱に守られるように鎮座している。
わが国では、古くから神の単位を「柱」と呼んで一柱、二柱と数える。
つまり柱とは、神を意味している。
東大寺の大仏は、 76柱にもおよぶ神々に守られて
鎮座しているともいえる。
まさに神と仏が習合した姿をそこに見ることが出来る。
太い柱を使うのは、わが国特有の現象である。
                   インターネットからの抜粋


遊行柳
観世信光は、西行法師が那須・芦野で詠んだ
「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」
の歌の柳を主題にして、謡曲「遊行柳」を創作した。
これにより遊行柳として広く世に知られるようになり、歌枕の地となった。
芭蕉は西行ゆかりの遊行柳に心を寄せ、
元禄2年(1689)4月19日に 立ち寄り
「田一枚 植て立去る 柳かな」の句を残している。
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浴泉神社樹齢400年の上の宮のイチョウ
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教傅地獄
1318年頃、奥州白河にあった蓮華寺に"教傅"という
手の付けられない悪童が預けられた。
教傅は行いが改善されぬまま大人になり
28歳になると住職となり実母と寺で住むようになった。
元亨元年(1336)、教傅は友人達を連れ添って
那須温泉に遊興しようとした朝、
旅支度が出来ていない事に腹を立て母親の出した朝食を足蹴にする。
那須温泉に着き殺生石を見学に来たところ、急に雷鳴が轟き、
地割れから溶岩が流れ出し、友人達は逃げたが
教傅は金縛りになり硬直し飲み込こまれてしまった。
誰しも教傅の悪行に天罰が下ったと悟り、
後の享保5年に地蔵を建立し親不孝のいましめとした。
教傅地獄1
教傅地獄2
千体地蔵
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殺生石
山肌がむき出しで草木の絶えた谷あいがあり、
この奥に殺生石が鎮座している。
鳥羽上皇が寵愛した空想の女性、
玉藻前(白面金毛九尾の狐の化身)が
正体をあらわし、殺害され石になったという逸話がある。
殺生石の周辺からは昔ほどではないと言われるが、
今でも悪臭のするガスが吹き出している。
芭蕉は元禄2年(1689)4月18日にこの地を訪れ
「石の香や 夏草あかく 露あつし」と詠んでいる。
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盲蛇石
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那須温泉神社
第34代舒明天皇の(奈良朝630年)に創建された。
源平合戦において那須余一宗隆が屋島の戦いで
扇の的を射る時に 「南無八幡大菩薩別しては我国の神明、
日光権現、宇都宮・那須の温泉大明神
願わくは、あの扇の真中を射させ給え」
と祈願した神社
余一が名声を挙げて後、那須氏の崇敬をうけ、
領民こぞって温泉神社を勧請した。
「湯を結ぶ ちかいもおなじ 岩清水 芭蕉翁」
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那須の五葉松
樹齢八百年、高さ12m、幹回り170cm
御用松


樹齢八百年、高さ12m、幹回り170cm
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所在地・・那須郡那須町湯本 182
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  1. 2010/10/08(金) 08:47:07|
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